講中の皆様と千葉県内のお寺巡り <11/15> |
■2009年06月02日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆N
雄大な太平洋の荒波の中、悠々とたたずまれます釣り人の男性…イィ光景ですねぇ(^_^)v
九十九里浜では何でもありませんごく日常の景観なのかも分かりませんけど、穏やかな瀬戸内の海を見慣れていますGONsanには実に新鮮な景観に映ってなりません。
釣りは親しみませんGONsanなんですけど、にも拘わらず実に新鮮な景観として、いつまでもGONsanの脳裏には残ってしまいましたねぇ〜
時間さえ許しますと、いつまでもこぅしてボンヤリと眺めていたい九十九里浜…
とは言いましても、朝食の時間も迫って来ましたし、この近辺の他の場所も散策してみたいし…(結局、んっ!?と眼が止まります景観も無かったのですけどネ)
とにかく浜から退散です。
で、保安林の中を通過していましたら、こんな表示板が…
■海岸県有保安林の働き
海岸林には多くの働きがあります。
浜辺から飛んでくる砂を防ぐ飛砂防備の働き、津波や高潮の勢いを弱める防災の働き、人に安らぎを与える保健休養の働き。
このような働きによって私たちの安全で快適な暮らしを守ることが海岸林の役割です。
九十九里浜における海岸林の多くは、千葉県が実施する治山事業によって造成されました。
千葉県では、これらの海岸林を保安林に指定し、その働きが失われることのないよう管理しています。
…と、こんな記載がありまして、チョッと勉強になりましたGONsanです(^.-)☆
そぅ言えば、この九十九里浜周辺では、広大な水田地帯の中にポツンポツンと民家が散在しておりましたけど、これらの個人の民家の廻りにもこぅした保安林が囲んでおりましたネ。飛砂防備が目的なのでしょうけど、結構印象的な景観としてGONsanの眼には入って来ましたようです(^_^)v
■2009年06月03日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆O
朝食を終え、白子温泉“浜紫”を後にしましたのはA.M.8:00でありました。
次の訪問寺は4ヶ寺目の「藻原寺」。
白子温泉からは、バスで30分ほどの行程です。
白子温泉から数分走行しますと、ご覧の田園風景が眼に入ってきますけど、何となくのどかなイィ景観です。
それに、福山と違いまして山が視野に入りませんから、一層広大な田園地帯に見えてしまいます(^.-)☆
広々として、そして延び延びとして、実にイィ景観です(^_^)v
どの田んぼでも既に田植えは終わっていますけど、我が家周辺は6月が田植えの時期となりますでしょうか…
この辺りは福山よりも1ヶ月ばかり早いようですねぇ〜
とにかく、のどかな景観でありました(^-^)/"
■2009年06月03日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆P
予定より少し速く、20分少々で藻原寺にと到着です。
藻原寺の近くまでヤッて来ますと、ひときわ目立ちますのが1932年(昭和8年)建造のコンクリート製多宝塔形式(高さ25メートル)の山門です(^.-)☆
茂原市のランドマークのようですネ(^-^)
■藻原寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
所在地:千葉県茂原市茂原1201
山号:常在山
宗派:日蓮宗
寺格:本山(由緒寺院)
創建年:1254年(建長5年)
開基:斎藤兼綱
正式名:常在山藻原寺
文化財:鋳銅鰐口(千葉県指定工芸品)
藻原寺(そうげんじ)は、千葉県茂原市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。
山号は常在山。本尊は祖師像。題目初唱の霊場。東身延(ひがしみのぶ)とも称される。塔頭が二院ある(妙弘寺、東光院)。
境外堂として御塚観音堂、奥之院(旧法華谷法華寺)がある。
◆由緒
1254年(建長5年)遠江国からこの地に流されていた斎藤兼綱が建てた草庵に始まると伝えられ、1276年(建治2年)に寺となり常楽山妙光寺と号したという。嘉暦年間(1326年〜1328年)頃山号が常在山と改められたと見られ、戦国時代に現在の藻原寺となったようである。
山門は1932年(昭和8年)建造のコンクリート製多宝塔形式(高さ25メートル)で、茂原市のランドマークである。
現住は92世持田日勇貫首(東京都墨田区本久寺より晋山)。小西法縁。
藻原寺は日蓮宗の名刹(めいさつ)で古くは常在山妙光寺(じょうざいさんみょうこうじ)と称した。
天正(てんしょう)19年(1591年)11月 徳川家康より寺領朱印(しゅいん)地三十石の寄進を受けた折りの朱印状に長柄郡藻原寺とあったので藻原寺と改めたという。
身延山久遠寺(くおんじ)の系統で「金鋼集(こんこうしゅう)」の如く身延山より移った文書(もんじょ)もあり東身延とも称された。
遡(さかのぼ)ること弘安年間(1278年〜1288年)清澄山から鎌倉へ帰る途上の日蓮上人に布教を願った藻原城城主斎藤兼綱(かねつな)が出家し、常在院日朝と号して一宇を建立したのが藻原寺の始まりと伝えられている。
この地は藻原城址としても知られており、茂原公園の弁天池が壕の一部を形成していたとしたらロマンが広がりそうです。
竜宮城を思わせる高さ25mの多宝塔式山門が目をみはります。
…と、こんな名刹のようですネ(^.-)☆
コンクリート製ではありますけど、とにかく、竜宮城を思わせる高さ25mの多宝塔式山門は印象的でありました(^_^)v
そぅそぅ、忘れてならないのがこのお寺の池の鯉…とにかくデカかったですねぇ〜
久し振りに、こんなデカい鯉sanを眼にしましたような…
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