講中の皆様と千葉県内のお寺巡り <1/15> |
■2009年05月24日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、中村講中の皆様と千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆@
5/8(夜)〜5/10(夜)は、前から予定されておりました『中村講中の皆様と千葉県方面へのお寺詣り』でありました(^.-)☆
で、GONsan夫婦も参加の申し込みをしておりましたけど、直前の母の入院で参加は止めておこう…とも思いましたけど、皆さんにご迷惑をお掛けしてもいけないから…と、今回はGONsanのみ参加させて頂くことになりました。
5/8(金)は、集会所駐車場にP.M.9:00の集合ですから、退社し我が家にと戻ってきますと急いで入浴。
そして、あまり食欲もありませんでしたけど、一応、これまた急いで夕食。
とにかく、遅れて皆さんに待って貰いましてもなんですから、慌ただしい事(^-^)
身支度も整え出かけます準備が完了しましたのは、P.M.8:10でありました。
うん、うん、大急ぎで事を運びましたから、時間的には充分間に合います。
で、我が家の駐車場で、とりあえず一服です。
この日の月夜のキレイなこと(^_^)v
少し欠けて満月ではありませんでしたけど、雲一つありません夜空の南方にまん丸いお月様が実にキレイ(^.-)☆
早速、2枚ばかりパチリとなりました(^-^)
一服後、いざ出発で集会所にテクテクと歩いて行きますと、既にバスは待機しておりまして、参加者23名の半数程度の方々が既に乗車しておられましたネ。
GONsanが乗車しますと、次から次に残りの皆様がお集まりで、予定のP.M.9:00よりも随分早い8:40に出発となりました(^.-)☆
昨年は伊豆方面のお寺詣りでしたけど、今回は千葉県内のお寺詣り。
◆5/8(金) 水呑町集合・出発/21:00 === 福山東IC === (山陽自動車道・中国自動車道・名神高速道路・東名高速道路/朝方、海老名SAにて自由朝食)6:00/6:45
◆5/9(土) 三郷IC/8:00 === 本土寺(拝観)8:30/9:30 === 弘法寺(拝観)10:00/11:00 === 市川IC/11:30 === (関東自動車道) === 成田IC/12:00 === 成田(昼食)12:15/13:00 === 日本寺(御開帳)13:30/14:30 === 正法寺(御開帳)16:00/17:00 === 白子温泉(泊)17:40頃
◆5/10(日) ホテル/8:00 === 藻原寺(拝観)8:30/9:30 === (千葉有料道路) === 千葉市・妙興寺(拝観)10:30/11:30 === (館山自動車道・アクアライン・東名高速道) === 小田原IC/13:30 === 鈴廣蒲鉾店(昼食とお買い物)13:30/14:30 === 小田原IC14:30 === (東名高速道路・名神高速道路・中国自動車道・山陽自動車道/途中車内にて夕食弁当) === 福山東IC/21:30 === 水呑町到着・解散/22:00頃を予定
…と、こんな予定でありましたけど、仲々キツそうな行程ですねぇ(^.-)☆
とは言いましても、バス車内で眠っておればイィのですけどネ(^_^)v
参加者23名ですから、車内では二人掛けシートに各一人とスペースはユッタリとしていますから…
でも、長時間のバス車内では結構足も疲れますから、やっぱりキツい行程に感じられましたネ、GONsanには(^-^)
とにかく、千葉方面にといざ出発です。
今週は、この千葉方面へのお寺詣りの様子を、遅ればせながら綴ってみたいと思います。
既にもぅ2週間も前の事ですから、当日の様子は随分忘れ去っていますかも分かりませんけどネ(^-^)//"
■2009年05月24日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆A
二人掛けシートに一人とユッタリしてはいるのですけど、少し眠りに入ったかと思いますとスグに眼が醒めて…
何度これを繰り返した事でしょう…
そぅしています内に、まず第一回目のトイレ休憩がP.M.21:33でありました。
場所は何処でしたか分かりませんけど、出発しましてからまだ1時間程度の走行ですから、きっと兵庫県内でしたのかも…
ヒンヤリとした空気が仲々気持ちよく、上空を見上げますと依然としてキレイな月。
ここでもまた雲一つ有りません夜空に、ヤケにお月様がキレイでありました(^.-)☆
最初のトイレ休憩を済ませますと、後は自然に眠りに入りましたのでしょうか…
ハッと気が付きますと2回目のトイレ休憩で、バスは停まっておりました。
慌ててGONsanも車外に出ましてトイレ行き。
結構熟睡していましたようで、バスの停車にも気付きませんでしたねぇ〜
トイレの壁面には、『強化中 速度抑制対策実施 注意 名古屋西IC 開閉バーが遅れて開きます 時速20キロを越えた場合 バーに衝突することがあります』と、こんな警告の張り紙(^-^)
時間はと見ますと、A.M.1:33でしたから福山を出まして5時間経過。
前回のトイレ休憩から4時間ですから、う〜ん、何だかんだと言いながらも結構眠っておりましたGONsanのようです。
名古屋西ICの注意書きと言う事は、ここは桑名か弥富辺りでしたのかも分かりませんねぇ〜
とにかく、名古屋の中心部も目前です。
この調子ですと、富士山が眼に入りますのはA.M.5:00頃になりそぅですネ(^_^)v
…と言う訳で、また一眠りのGONsanでありました。
新幹線の中でもそぅなんですけど、バス車内での睡眠は足が窮屈で辛さもありますねぇ〜
伸ばしたり、曲げたり、そして組んでみたりで…
他の方々も同様なのかも…どなたかが、「足の置き場に困ってしまう…」と言っておられましたから…
次のトイレ休憩・自由朝食は“海老名SA”ですから、この調子ではまた4〜5時間の睡眠は取れますかも…
でも、バス車内から富士山の勇姿も見たいですし…
うまいこと眼が醒めれば宜しいのですけど…
とにかく次の停車は海老名SAです。
眠れます時には眠っておきたいものです(^-^)//"
■2009年05月25日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆B
足の置き場に苦労しながらも、いつしか深い眠りにと入っておりましたGONsanですが、どなたかの「富士山がキレイ…」との声でハッと眼が醒めまして、車外に眼を向けましたら、雲一つ有りません空にキレイな富士山が眼に入りました。
時間はA.M.4:40。
…と言うことは、最後のトイレ休憩から3時間ばかり眠っていました事になりますねぇ〜
暫く見え隠れします富士山の景観を楽しみながら、バスは自由朝食の東名高速道「海老名SA」にと到着です。
時間は、丁度A.M.6:00でありました。
ここでは、洗顔・朝食…と45分ばかり自由時間。
それにしましても、さすがにプロのドライバー…今回の旅行日程表とおりピッタリA.M.6:00の海老名SA到着でありました(^.-)☆
洗顔・朝食を済ませましたGONsan、後はブラブラと過ごしておりましたけど、特に何にもありませんから、この間の45分間の結構長いこと(^-^;
わずかな時間にも拘わらず、ヒマを持て余し気味のGONsanでありました。
海老名SA内でノンビリと過ごしましてからは、都市高速でいよいよ都心部に突入です。
土曜日だと言いますのに、通勤しておられます方々の車もあるのでしょうから、次第に混んで渋滞の都市高速。
運転しておられます方はイライラ感も募って来ますのでしょうけど、GONsan達はユッタリとしたバス車内。
渋滞の朝の景観もまた楽しいかな…と言ったところでしたでしょうか(^.-)☆
このまま三郷ICまで走行し、そこから30分程度で最初の訪問寺『本土寺』に到着の予定です。
どぅやら、この日も翌日も天候は良さそうですねぇ〜
でも、暑い日中となりますかも(^-^)//"
■2009年05月26日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆C
まずは一番最初の参拝寺は、千葉県松戸市平賀に存在します『長谷山本土寺』でありました(^.-)☆
日程表通り到着は、A.M.8:30でありました(^_^)v
今回のお寺詣りの度は実に順調で、今のところピタッ、ピタッと計画通りですからバスのドライバーsanには感心してしまいますよ(^_^)v
頂きましたパンフレットによりますと、こんな由緒のありますお寺のようですネ。
■長谷山・本土寺
-- 開運・日像菩薩霊場 --
当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、今をさかのぼる事およそ七百年前の建治三年(1277年)に、領主の曽谷教信卿の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったのに始まります。
池上の長谷山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と共に朗門の三長三山と呼ばれ、宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に、七堂伽藍がその山容を誇ったものでありますが、惜しいかな度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動(仏教とりつぶし)のために衰滅し、今は昔の威容とてうかがえません。
しかしながら三聖人ご出生の聖跡として今尚名高く、又開運、乳出子育、学業増進、所願成就のご霊験で知られている名刹であります。
三聖人と申しますのは平賀の三兄弟で、師孝第一と讃えられる日朗聖人、日蓮大聖人に次ぐ偉聖と崇められる日像聖人、そして池上本門寺、比企ケ谷妙本寺の大成者日輪聖人であります。
日朗聖人は長兄に当たられ、宗祖の第二番目のお弟子として、法難続きの伝道を共にされたことは余りにも有名であります。
また日像聖人は、文永六年八月十日(1269年)にこの地に生誕され、七歳にして身延に登り学業にはげまされ大聖人が池上においてご入滅の際には、わずか十三歳の若年ながら、並み居る大勢のお弟子、ご信徒の中から選ばれて、都(京都)での開教と天子の教化の大遺命をたまわれることになりました。
二十五歳の年、宗祖の十三回忌に当たる永仁二年の春から都で布教するも、勅命で追放されること三度、さらに他宗等の迫害を二十八年もしのび、遂に後醍醐天皇に妙法を奏上することが叶い、法華宗号のご綸旨と勅願寺を賜り、立派に祖願を成就されたことは、西日本一帯に法華の宗を弘めた大聖人として崇められる所以でもあります。
今日、像師堂にご安置する「親子相愛のお姿」は、法難の日々を案じられる八十余歳の母「妙朗尼」に、我が身に代わってご対面すべく、自ら刻んで送られたお姿と伝えられております。
このお姿は、「開運の御影」ともいわれ、開運除災、学業成就に古来霊験が顕著であるご信仰をいただいております。
また側のご誕生水は「乳出のご霊水」といわれ、七百年の昔よりご利益は不思議な程であり、近年までは祈願者が続いたものであります。
こんにち、「花の寺」として親しまれている本土寺の「本土」とは「我此土」(わがこのど)つまり、お釈迦様が本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来します。
また花は、本佛に捧げる花であり、宝樹であります。
お釈迦様(本佛)のお姿は草木国土成佛させようという慈悲の光に輝いております。
あなたの心にも永遠の安らぎが与えられますように。
合掌
--- 「本土寺パンフレット」より抜粋 ---
…と、こんな由緒ありますお寺でありました(^.-)☆
宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に、七堂伽藍がその山容を誇った…との事ですから、当時の建造物が凡て現存しましたら、さぞかし見応えのありますお寺でしたのでしょうけど、明治維新の廃仏毀釈運動ではこのお寺に限らず、全国の多くの古刹がこぅした道を辿りましたのでしょうから何とも…
ただ、当時に想いを馳せますと惜しまれてなりませんGONsanでありました。
今回のお詣りでは、たまたまお寺の法要と重なりましたようで御開帳とは行きませんでしたのが残念ではありましたネ(^-^)//"
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