嫁さんの母のお見舞いで福井行き A <1/2> |
■2008年04月01日
嫁さんの母のお見舞いで、3/23(日)は日帰りで福井行きとなりました(^.-)☆ --@--
嫁さんの母のお見舞いで先日・3/23(日)は日帰りで福井行きとなりました。
久しくお見舞いに出かけていませんから日々大変気になってはいるのですけど、寒い時期には仲々出かけられませんのが哀しいですネ…
運転が下手ですから、雪は怖いし…
前回伺ったのは、確か昨年の10月でしたような…
嫁さんと温かくなったら出かけよう…と話しておりまして、ヤッと出かけられましたのがもぅ既に2週間前。
A.M.5:45に我が家を出まして、福山東ICから山陽自動車道に入り走行。
最初はいつも嫁さんの運転で三木SAまではノンストップなのですけど、今回は何故か吉備SAで第一回目の休憩となりました(^-^)
隣りでウトウトとしていましたGONsanですけど、“んっ、もぅ兵庫県に入ったの…”とハッと気が付き周辺を見廻しますと、まだ岡山でありました。
朝から何も食べてはいませんから、トイレ休憩・朝食タイムとなりました嫁さんのようでありました(^.-)☆
この山陽道上り線側の吉備SAは、拡張か改修か分かりませんけど、工事用の塀で覆われておりまして一部工事中。
今回はゴンchanは留守番です。
ゴンchanでもいますとSA内の散策となりますけど、いませんだけに手持ち無沙汰と言うよりも大変楽(^_^)v
タバコを片手にノンビリしておりまして眼に入りましたのが、この“復刻堂商店”。
何となく昔懐かしい光景ですけど、まだ時間的に早いですから営業はしておられませんでしたが…
こんな復刻堂商店は確か他のSAにも存在しましたような…加西SAでしたかも…
いずれも中に入った事はありませんから何を販売しておられるのかは分かりません(^-^)
店の造りから、きっと昔の駄菓子屋sanみたいな感じの商店なんだろうと想像しておりますけど、さて、どぅなんでしょうねぇ〜
駄菓子屋sanと言うよりも、単なる自販機コーナーのようにも見受けられますし…
まぁよく分かりません。
どぅでもイィ事ではあるのですけど、GONsanのようなジジィの域の者にとりましてはヤケに懐かしさを覚えまして、自然と眼が向いてしまいますねぇ〜
嫁さんに「あれ、仲々懐かしい建物に見えるねぇ〜」と話しますと、「別に何とも…」との素っ気ない返答。
う〜ん、嫁さんも仲々ウソつきですよ。本当は懐かしいはずなのに(^-^)
まぁイィのですけどねぇ(^-^)//"
■2008年04月04日
嫁さんの母のお見舞いで、3/23(日)は日帰りで福井行きとなりました(^.-)☆ --A--
ノンビリと3度ばかりの休憩を挟みながらの走行となりましたから、嫁さんの郷里・若狭町にと到着はA.M.10:30でありました。
A.M.6:00少し前に福山を出ましたから、約4時間半の道程です。
何となく、年々所要時間が長くなっていますような気も致します(^-^)
それだけ歳を重ねて長時間のノンストップ走行に耐えられなくなって来つつありますのかも…
まずは嫁さんの実家に伺い、そして近くの親戚の家に手土産下げての挨拶訪問。
暫く談笑の後、早速、義母のお見舞い行きとなりました。
挿入の画像は、その際に撮りました町内の何気ない景観なんです(^.-)☆
軒先に何気なく干してあります6足の長靴に眼が止まってしまいましたけど、仲々微笑ましい景観です。
ご家族全員の長靴なんでしょうか…
今冬は久し振りの厳しい冷たさで、若狭町内も結構積雪がありました様子。
今から30余年ばかり前でしたら、冬の時期にはそれなりの降雪・積雪がありまして、GONsanには物珍しい雪景色が楽しめました。
が、ここ近年は正月に訪れましても仲々雪景色とは無縁となってしまいましたよ。
今冬のように積雪の多い年には、危険を避けて伺いませんし(^-^)
そして、北方の山の頂きに眼を向けましたら、まだ残雪が少々(^-^)
う〜ん、結構な積雪がありましたようですねぇ〜
それにしましても軒先の長靴…実に微笑ましく感じられてなりませんでしたよ(^-^)//"
■2008年04月05日
嫁さんの母のお見舞いで、3/23(日)は日帰りで福井行きとなりました(^.-)☆ --B--
義母のお見舞いに伺いますと、昨年10月の訪問時に比べ随分シッカリしてお元気な様子。
あまり喋っては貰えませんけど、私達の話します事は充分分かっておられます。
が、依然として、介護面から自宅にと戻って家族と暮らすと言う状態ではありませんのが哀しいですネ…
このままズッと特別養護老人ホームでの生活を強いられますのでしょうけど、考えてみましたら、この方がイィのかも分かりません。
ヘルパーの皆様のご親切な介護で、安心して穏やかに暮らせます日々…
入りたくても順番待ちで仲々入れないのが実情ですし…
この特別養護老人ホームの近隣に存在しますのが「鯖街道熊川宿」。
若狭を訪れます度にチョッとした時間を利用しまして、熊川宿跡を散策しますGONsan。今回もまたそぅでした。
■鯖街道熊川宿
--- 鯖街道の由来 ---
若狭ではいつからか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716〜83)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(安永5年 1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。
若狭をほぼ東西に走る丹後街道は東は越後敦賀、西は丹後の舞鶴あるいは宮津までの幹線道路でした。
若狭街道は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠をとおり、熊川を経て滋賀県朽木村を超えた大原八瀬より京都への道を言います。
「鯖街道」もいつ頃からかこの呼び方をされていますが、熊川の古い文書には由来となるはずの若狭湾の鯖とわかる記載は見当たりません。
しかし18世紀後半になって若狭湾で多種類の海産物に混じり大量の鯖が水揚げされるようになった事や小浜の「森田宗太郎家文書」によれば宝暦(1751〜63)以後、若狭の海で鯖が大量に漁獲され、これを京都の人々が大衆魚として広く庶民が賞味し、また祭礼にも欠く事が出来なかったためだ、とも考えられます。
これらが運ばれた道は幾通りもありましたが、鯖の運ばれた道の総称が鯖街道であると言っても良いでしょう。
中世以降は熊川・朽木経由の若狭街道こそが輸送量の多い「鯖街道」の名に最も相応しい道であったことは確かです。
…と、こんな熊川宿。
先月で終わりましたNHKの連ドラ「ちりとてちん」の舞台となりました小浜市。
また「オバマ氏」応援でスッカリ全国的に名が通ってしまいました小浜市。
この小浜市への通り道に存在します熊川宿だけに、ほどよいタイミングで次から次に観光バスが訪れます。
“おっ、観光客が途切れたかな…”と思っておりますと、また次の団体san。
で、結局、この熊川宿に観光客が誰もいなくなる状態にはなりませんのが面白いですネ。
昔の建物が残っている訳でもなく、ただ人工的に昔の面影の漂います街造りをしているだけの事ではあるのですけど、この熊川宿の素朴な通り…特に何にも無いのですけど、ここでの散策が大変好きなGONsanなんであります。
何度も撮りまくりましたこの熊川宿なんですけど、また同じような景観を撮ってしまいましたねぇ(^.-)☆
次回、若狭を訪れましたら、また撮るものと思いますが(^-^)//"
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