福山市鞆町・沼名前神社 2008 お手火祭り <1/5> |
■2008年07月12日
今日・土曜日も終日暑かったですねぇ(^.-)☆
今日は休みのGONsanでしたが、A.M.6:30に起床し軽く朝食。
毎月、月初には春日・日吉台の墓地の草取りをしておりますけど、今月はまだでしたから、涼しいうちにとA.M.7:30に出発です。
墓地に到着しますと、早朝ですから駐車場には1台の車。
女の方がお一人で、お墓の清掃をしておられましたねぇ〜
草取りは勿論、花の入れ替えも…
GONsanの方は、墓石は据わっていませんから、単純に草取りのみ。
毎月一度、こぅして草取りをしているのですけど、1ヶ月経ますとまた生えてきますから、この繰り返しが何年も続いておりますよ(^-^)
数年前までは、一つ一つ手作業で除草しておりましたけど、数年前から除草剤に変更です。
除草剤にも色々ありまして、根こそぎタイプから葉っぱタイプまで様々。
で、GONsanは葉っぱタイプの除草剤を使用です。
草に除草剤を散布しますと、1週間程度で葉っぱが枯れて2週間までには草全体が枯れて朽ち、土に返っていきますタイプなんです。
大きな草でしたら手で抜いた方が早いのですけど、毎月こぅして除草していますと大きな草ではなくて小さな草が生えていますから、除草剤の散布の方が随分楽なんであります(^.-)☆
ですから、30分も要せば凡て完了ですので、楽と言えば楽(^-^)
2ヶ月に一度程度でもイィのですけど、毎月の方が新しく生えました草も少なく一層楽ですから…
それにしましても早朝から暑くて、この程度の除草作業でも額からは汗。
今日からは、甲子園目指しまして広島大会が幕開ですけど、本格的な真夏がヤッて来た…と言う感じですねぇ〜
墓地から戻りますと、既に嫁さんがゴンchanの散歩は済ませておりまして、う〜ん、残念(^-^;
また運動公園・河川敷等でゴンchanと遊びたかったのですけどネ…
で、午前中は嫁さんの手伝いで、仏壇周辺の清掃となりました(^-^)
が、室内で動いておりましても気温は上昇。何しておりましても汗が流れてしまいますネ。
さて、今夜は鞆の「沼名前神社」の『お手火祭り』なんです。
過去、何度か出かけておりますけど、今夜は久し振りにまた見物で鞆行きの予定です。
■鞆のお手火祭り(日本三大火祭り)
--- お手火神事 ---
この神事の起源は不詳であるが、公式には鎌倉時代末に始まったと考えられ天正年間(1573〜1592年)まで行われていた。
300年以上も中断されていたが、1917年(大正6年)に再興され、1973年(昭和48年)3月31日、福山市無形民俗文化財に指定された。
鞆祇園神社(明治政府の神仏判然令、いわゆる“神仏分離令”により、今は「沼名前神社」という名前に変更させられている)の祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)の神輿渡卸(みこしとぎょ)に先だって行うお祓いの行事で、昔は旧暦6月4日に行われていた。現在は旧暦6月4日に近い土曜日に行われる。また、雨・台風の日であっても行われる。
…と、こんな鞆のお手火祭りなんですけど、今年の見物客はどぅでしょう?
カメラを片手にパチパチ撮りまくられます方々が多いのかも分かりませんネ。
GONsanも、嫁さんの機嫌が良ければ鞆まで送って貰えるのですけど、さて、どぅでしょうねぇ〜
午前中に色々手伝いをしていますから、多分、きっと、送って貰えるものと思いますが…
挿入の画像は、先月下旬に開催されました高校生の方々のレガッタレース前の光景です。
いぇいぇ、レース終了後の一コマでした(^-^;
この日は降雨が続いていましたから出かけませんでしたけど、降雨の中の観戦もまた涼しくてイィのではあるのですけどネ(^-^)//"
■2008年07月15日
鞆町の沼名前(ぬなくま)神社の“お手火祭り”…今年も賑やかに開催されましたネ(^.-)☆
先日・7/12(土)は、福山市鞆町の沼名前(ぬなくま)神社の“お手火祭り”…気が向いたら久し振りに出かけてみよう…との気持ちでありましたGONsanですけど、暫し思案(^-^)
夕方近くになりまして、嫁さんに「鞆の“お手火祭り”に行ってこようかなぁ〜」と嫁さんに独り言のように呟きますと「ヒマなんだから行って来たら…」と、さりげない嫁さん(^-^;
で、「送って行って、また帰りには迎えに来て貰えるかなぁ〜」と、またまた独り言のGONsan。
これには、「練習がてら、走って行って走って帰ればイィのに…」ですから困ってしまいますよ(^-^)
でも、とかなんとか言いながらも送迎はして貰いましたけど(^.-)☆
我が家をP.M.6:45に出まして到着は丁度P.M.7:00。
始まりは通常P.M.8:00ですから、まだ1時間ばかり時間がありますから、神社境内の周辺の景観をとりあえずパチリ。
いつもの事ですけど、ご年配のカメラ愛好家の皆さんが大勢来ておられまして、決まって首から高級カメラを複数機ぶら下げておられます。GONsanは低性能なカメラを手にしていますと言うのに(^-^)
この“お手火祭り”の様子は、中国新聞sanがこんな記事で紹介しておられました。
■福山・鞆で「お手火神事」
--- 2008/07/13 中国新聞 ---
鎌倉時代から続くといわれ、無病息災を火に託す福山市無形文化財「お手火神事」が12日夜、福山市鞆町の沼名前(ぬなくま)神社であった。氏子の男性たちが夜空の下で、燃え盛るたいまつを境内に担ぎ込んだ。
午後8時、太鼓の音を合図に神事が始まった。白装束姿の地元代表の世話人約20人が本殿で起こした「神前手火」を参道に運び、一回り大きいたいまつ3本に移した。大たいまつは「大手火」と呼ばれ、長さ約4メートル、重さは150キロに及ぶ。氏子たちは総勢100人で、火の粉を散らしながらたいまつを担ぎ、45段の石段を駆け上がった。
…と、こんな記事で(^-^)
◆鞆の浦の「お手火神事」
鞆の浦の「お手火神事」は、「那智の火祭り」(和歌山・熊野那智大社)、「鞍馬の火祭り」(京都・由岐神社)、と並ぶ日本三大火祭りの一つとも言われている。起源不詳で太古の昔から行われている火祭りと思われるが、文献上確認されるのは、14世紀半ばあたりである。
ちなみに、鞆の祇園神社は京都の祇園神社(明治政府の神仏判然令、いわゆる“神仏分離令”により、今は「八坂神社」という名前に変更させられている)の元社にあたる社である。京都の「鞍馬の火祭り」と鞆の浦の「お手火祭り」はよく似ており、何らかの関連性がうかがえる。
お手火は向かって右から一番手火、二番手火、三番手火。鞆の浦の旧鞆町構成7町が輪番で当番を務め、順番は、第一年目…江の浦町&元町(一番手火)、西町(二番手火)、石井町(三番手火)→第二年目…江の浦町&元町(一番手火)、道越町(二番手火)、鍛治町&祇園町(三番手火)→第三年目…江の浦町&元町(一番手火)、関町(二番手火)、原町(三番手火)。
江の浦・元町だけが特別に毎年一番手火を担当する理由は、綿津見尊(わたつみのみこと)が上陸された地が江の浦である事が起因しているようだ。社(やしろ)の案内には、「沼名前神社は明治9年(1876年)5月23日、境内渡守神社の祭神・綿津見尊を本殿に遷して祇園神社の素盞鳴尊は相殿に斎した」とある。
…と、こんな鞆の“お手火神事”でありますけど、GONsan何度か見物しています割りには、こんな歴史的背景には詳しくありませんねぇ〜
ただ、見て楽しみますのみのGONsanなんであります(^.-)☆
とは言いましても、そんなに面白いお祭りでもないのですけど、何故か3年毎の周期で足が向きますよ(^_^)v
それでは、また画像で沼名前(ぬなくま)神社の“お手火神事”をご案内させて頂きますネ(^-^)//"
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