葛城神社補修工事 火災現場 法界さん損傷
 ■2008年06月14日
 人生の大先輩の皆様方には、何事も勝てませんものですネ(^.-)☆

 もぅ一週間前の事になりますけど、6/8(日)には早朝から八幡神社〜六方学園間に存在します“葛城神社”の屋根補修工事のお手伝いとなりました。
 町内会長sanが所用で行けないからと言う事でGONsanが代行で参加となりました。

 この葛城神社のスレート葺きの屋根にはストーブ用の煙突が出ておりまして、もぅ何年も石油ストーブに取って替わり経ていますから、煙突周辺が朽ちて来まして雨漏りも発生。
 で、6/1(日)の町内一斉清掃の後、6名ばかりの方々で煙突を撤去。
 そして、今回は撤去後のスレート屋根・雨樋等の取替工事となりました次第。

 GONsanは補修工事をされます大先輩の皆様の動きをただただ感心しながら見守るのみ(^-^;
 脚立を支えてあげたり、周辺部品を手渡してあげたり…でサポートをさせて頂く程度のお手伝い。
 それにしましても、「ワシらは素人だからキレイには出来ん…」と言いながらも、どぅしてどぅして仲々の腕前ですから脱帽ですよ(^_^)v

 アッと言う間に立派に補修されてしまいましてプロ並みの処置。
 大変ご立派な出来栄えでありました(^-^)
 人生の大先輩の皆様方には、何事も勝てませんものですネ(^.-)☆


 ■水呑葛城神社

 水呑町の葛城神社は、昭和30年頃現在地(八幡神社と六方学園の間)にと移転されましたが、昔は水呑町を眺望します熊ヶ峰の九合目付近にありました。

 安元元年(1175年)ですから今から830余年ばかりも昔、小松内大臣・平重盛公が宮島の厳島神社に参詣の途中、鞆の浦に上陸。
 その際に、水呑上空に閃光が出現し熊ヶ峰山頂付近に消えましたとか…
 それで、平重盛公はこの閃光を追って水呑から熊ヶ峰に登られましたようです。

 重盛公は熊ヶ峰山頂にと向かわれる途中、6・7合目の所で主従共に息も絶えるかと思われるほど疲労のところに白髪の翁が現れて、傍らにあった岩を取り除いたら、たちまち冷泉が湧き出したとの事。

 重盛公はこれを飲みましたところ間もなく元気を回復しましたので、重盛公はこの泉を“蘇命水”と名付けたと伝えられています。
 そして、時に翁は何者であるかと公が尋ねたところ、「吾れはこの峰の頂上に祀られる“かつらぎ大権現”の待者である」と応えたそうです。


 こんな経緯もありまして、重盛公は熊ヶ峰に登り葛城神社と熊野神社を祀ったと伝えられています。
 重盛公が冷泉を呑まれた事から『水呑』の地名が生まれたと言われています。

 …と、こんな葛城神社でありまして、以前にもこの絵日記に綴りました「葛城神社」。

 故き良きモノを構成に継承・保存して行きますのには、こぅした色んな方々のご尽力が欠かせません。
 『先生』とは「先に生まれる」と言う意味合いもあるのでしょうけど、ジジィの域にドップリ浸かろうとしていますGONsan。
 なんですけど、まだまだケツが青くクチバシも黄色いGONsanですから、この方達にはとても叶いませんネ(^-^)

 何かにつけ学ぶ事のみ多過ぎて困ったGONsanなんであります(^-^)//"

 

 

 

 

  

  

  

  

  

   

 ■2008年06月12日
 先月下旬の未明の火災…う〜ん、ここでしたか…

 もぅ随分前の先月下旬近くでしたか…深夜、突然、火災発生のサイレン音。
 暫く鳴りましてから2台の消防車が急行です。
 で、眼が醒めましたGONsan。

 “う〜ん、何時?”と目覚まし時計に眼を向けますと、まだA.M.2:40。
 大した火災でもないのだろぅ…と眠りに入ろうとしましたら、またまた火災発生のサイレン音。
 そして暫くしましてから4台ばかりの消防車が急行。

 “これは結構大きな火災かも…”と急いで飛び起き、ベランダから周辺を見廻しますと八幡神社方向から炎が上がっていますのが闇夜に浮かびますから、驚きましたねぇ〜
 そして、もぅ1台の消防車が急行です。

 一瞬、今から火災現場まで見物にでかけようか…とも想いましたけど、時間が時間だけにそれは断念。
 炎も治まりましたから、無事に鎮火したのだろぅ…と、ヤッと睡眠続行となりました。

 その翌々日の朝刊には、永年、空き家となっていた民家から出火した旨、小さく火災記事の掲載がありました。
 それから数日後の日曜日には町内一斉清掃日で町内の方々と話します機会に恵まれましたけど、この日の火災の話題は出ませんで、GONsanも火災の事はスッカリ忘れておりましたから、それっきりとなっておりました。

 が、先週の日曜日。
 八幡神社と六方学園の間に存在します葛城神社の老朽部分の補修工事で、GONsanもその作業に駆り出されておりました。
 で、A.M.7:30の開始に間に合いますよう7:15頃に葛城神社にと向かっておりまして、眼が止まりましたのがこの火災現場。

 八幡神社参道沿いに位置しますからスグに気付きましたけど、ここだったのですねぇ〜
 それにしましても周辺には民家が隣接ですから、未明の火災発生で、この周辺の方々はさぞ驚かれたものと思います。
 驚くと言いますよりも、火災の怖さも充分感じられたものとお察し致します。

 なんでも、中国電力sanの調査では漏電に起因との事でありました。
 とは言いましても、永年空き家ですから電気の使用もストップ。漏電には“んっ?!”の気持ちも抱きますけど…
 電力使用を廃止しますと元から切られますのでしょうけど、そんな状態でも屋内まで電気は流れているのでしょうか…
 とにかく、中電sanの「漏電」との公表ですから、そぅなんでしょうけど…

 火災の怖さは充分認識してはおりますけど、真夜中の火災発生は、とりわけ恐怖感を抱いてしまいますねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 ■2008年06月21日
 今日の夕方は、降雨の中をジョギングとなりました(^.-)☆

 今日・土曜日は勤務のGONsan。
 で、勤務を終えますと一目散に我が家にと直行(^-^) そして、久し振りに芦田川河川敷でのジョギングとなりました。

 我が家にと帰って来ますと、P.M.4:05。
 降りそうで降りません今日の天気で、この調子なら夕方にはジョギング可能と内心喜んでおりましたGONsan。
 ですが、我が家にと辿り着きました途端に降雨ですから、結構ショック(^-^;

 はてさて、どぅしたものか…と、暫し雨足の速くなりました空を見上げて思案です。
 が、どぅせ大汗でドボドボになるのですから、降雨の中で走りましても同じ事…とばかりに、P.M.4:30にジョギング開始となりました。

 芦田川大橋〜河口堰間のテニスコート横の土手を走ります段階で、はやばやと身体にキレがなく何となく気怠い感じの走りとなってしまいましたけど、久し振りに走りますせいだったのでしょうか…
 ですけど、降雨の中ですから暑くはありません。意外と爽やかな走りではありました。でも、何となく身体の重さは変わりません。
 まぁこんな日もありますから…と、しんどさを我慢してジョギング続行。

 こんな状態が20分ばかり続きましたでしょうか…あんなに身体の重さを感じていましたのに、何故か途端に快調な走りにと変わってしまいまして、結局、2時間のジョギングを無事終了。
 時々こんな日があるのですよ、最初の30分は凄くしんどいのに、それ以降は快調な事が。
 同様にこの逆もありまして、滑り出しはもの凄く快調な走りにも拘わらず、それ以降はもぅだるくてしんどくて…と言う事も(^-^)
 まあ色々ありますけど、今日は最初だるくて途中から快調…こんなジョギングでありました。

 今夜は、P.M.7:30より町内会関連の会合がありますから、ジョギングから戻って来ますと急いでシャワー。
 そして、軽くパンと牛乳。
 あっという間にP.M.7:00も過ぎまして、P.M.7:15に会合場所の井上記念館まで駆け足となりました。

 我が家を出ましてスグに山側に眼を向けますと、山の中腹あたりに一直線に伸びました雨雲が掛かっておりました。
 時々こんな雲を眼にします機会に恵まれます。
 白い線を引いたように、横に真っ直ぐに伸びました雲を。今日は残念ながら、真ん中辺りで途切れそうに見えましたけど…

 会合開始までそんなに時間的余裕はありませんでしたけど、とりあえず1枚パチリ。
 夕闇が迫っておりましたけど、どぅにか撮れました。

 梅雨時期には、こんな景観は何度も見れますから、また次回、今度は少し離れた場所から撮ってみたいと思います。
 山の中腹に、横に一直線に伸びました雲の景観は、チョッと幻想的で、仲々イィ景観ではあるのですよ(^-^)//"
 今日は今一でしたけど…

 ■2008年06月22日
 昨夜は、土台部分に破損を受けましたこの「法界さん」の移転問題での会合でありました(^.-)☆

 今は、倒壊の恐れから上の部分を一時的に井上記念館に移動しておりますこの「法界さん」。
 葛城神社上方の「福山六方学園」の建て替え・改修工事により、工事関係車輌がこの法界さんを右折し走行の現況で、法界さんの土台破損は、これらの工事関係車輌の接触と推察されております。

 で、少し前までは土台部分にこぅして覆いをし、倒壊を防ぐ応急措置がされておりましたけど、昨夜通りました際には上の部分は取り外し井上記念館に移動されておりました。

 この法界さんの存在場所は水呑小学校のスグ近くで、倒壊があれば児童の登下校時には大変危険。
 それに、先月下旬近くの深夜の火災発生時には、消防タンク車が右折不能で火災現場に進めなかった。…と、こんな事情もありまして、今回の土台損傷を機に急遽、法界さんの移転問題が浮上。

 以前からこの問題はありはしましたが、今回の消防タンク車が右折出来ないと言う事態発生で、今度は切実な問題として再浮上。
 この法界さんは「安政3年(1856)大干魃あり、重顕寺三十四世日訊上人は日像菩薩の曼荼羅を芦田川の一本松に掛け祈雨すると8月6日、満願の日に豪雨がありこれを顕彰して村民が建立した」との事のようです。

 この底地は、登記面では“所有者不祥の共有地”ですから法的には福山市の所有となりますねぇ〜で、管理責任者は重顕寺?
 そして、常日頃のお世話をしていますのが我が町内?
 この箇所を車でよく走行されます方が多いのがお隣りの町内会の皆様?

 まぁとにかく昨夜は、こぅした利害関係者(?)が一堂に会しての検討会議となりました次第です(^-^)
 出席者は、町連会長・福山六方学園園長・重顕寺総代・我が町内会・お隣りの町内会・市関係者…等の皆様。

 色んな意見もありますけど、
 @法界さんを井上記念館の敷地内に移転(法界には“重顕寺”の記載がありますから、一宗教団体の遺跡を公共施設内に設置には市が難色)
 Aこの周辺の町民の方にご無理お願いし移転土地の提供を依頼
 B現在地には、個人のお墓・地神・法界と並んで設置されており、これを右側に詰めて移動し法界さんの部分を空け公道とする

 善後策としましては、この3案程度でしょうか。
 これらの案から、交渉の難易度・工事費用面を勘案し絞って行きますと、必然的にAの案に行き着くのかも分かりませんねぇ〜


 ■法界さん

 法界とは宇宙万物の総称、仏法の真理、仏道の本体、仏教徒の社会、仏門などと辞書にあります。
 水呑の法界石塔は地域の道端に角柱石か自然石で立てられ、表面に髭文字で「南無妙法蓮華経」とお題目が刻まれています。
 造立の年代や祈願文から、藩政時代に続発した災害などの苦難を神仏に祈念し加護を願い求めて建立されたようです。


 さて、我が町内はどぅ対応したものでしょうねぇ〜
 役員会に諮りましても話しは進みませんでしょうから、A案を基本に移転地の内定・移転費用の見積り・費用按分額の仮算出の後で事後相談…これが望ましいかも分かりませんねぇ〜

 …と言う訳で、昨夜は井上記念館で関係6団体の、約2時間の会合となりました(^-^)//"

 

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