平成20年度 水呑学区ふれあい文化祭 水呑史跡巡り <2/6>

 

   

(左)恵美須社:諏訪神社の境内 祭神 -- 事代主命(コトシロヌシノミコト)
古代より小山の上にあった 明治20年頃の建立の地神石碑あり。祭礼 -- 旧9月2日 御神体 -- 石

 

 

(左)法界石碑:宇田理氏 屋敷内 建立年代不明
自然石にて高さ約1m 南無妙法蓮華経・日蓮大菩薩の刻あり 当家に於て法界万霊を祀っている

 

 

(左)最上稲荷:竹ヶ端旧港より、南方山の手に60m入る 明治初年頃 備中高松稲荷より、その分霊を祠りしと。

 

(左)三王社:最上稲荷の境内左前方にあり 建部神社と同じ古社と言われ、南部の山中にあったのを約120年前現地に遷された。

   

  

 ■2008年10月17日
 平成20年度「水呑学区ふれあい文化祭」A

 諏訪神社・最上稲荷への拝礼後は、「建部神社」への拝礼となりました。

 参道の石段への入口に存在します鳥居には「武部神社」と刻まれ、石段を上り終えます手前に存在します鳥居には「建部神社」と刻まれておりますけど、はてさて“建部”“武部”のいずれが正しいのでしょうねぇ(^.-)☆
 GONsanは昔から「建部神社」の方を正しいものと教えられてきておりますけど、さぁ、どうなのでしょうねぇ〜

 建部神社の社はこじんまりと小規模な造りではありますけど、仲々立派(^_^)v
 規模こそ大きい「水呑八幡神社」の社にも決して負けておりません。
 昔から竹ヶ端地区の皆様は裕福ですから、材質も良質の資材をふんだんに使用しておられますのでしょうねぇ〜


 ■建部神社

 祭神 --- 日本武尊・神武天皇
 御神体 --- 石・高さ一尺 幅八寸・粘板岩
 祭礼 --- 旧9月15日 神事 御輿出御
 元禄13年頃に西郷重顕寺に属し以前不明 神武天皇当地に御駐輦(レン)をたたへ住民建立という伝承あり


 …と、水呑歴史民俗資料保存会sanから頂きました資料には記載がありました。

 画像二段目・右2枚、画像三段目・左1枚の鳥居ですけど、こんな伝承が…


 ■鳥居伝承

 芦田川の河口沖を大阪へ航行中の米問屋船が大時化(おおしけ)にあい難破寸前に灯りを見つけ辿り着いたのが建部神社で、御加護の賜物と感激し、鳥居と石段を奉献された。

 …との事で、鳥居の右柱(画像三段目・左1枚)にはその旨、刻まれておりました。
 風雨にさらされ、肉眼でヤッとこさ読み取れましたけど(^.-)☆
 近年調査しましても、その米問屋は不祥との事のようです。

 とにかく、小規模ながら大変立派な『建部神社』でありました(^-^)//"

   

   

(右)妙見大菩薩:石碑に妙見大菩薩の文字あるのみ。文政5年(1822)建立 昭和40年建部神社前に遷す。

   

(左)法界碑・日朝さん:日蓮宗11代 日朝上人を祭る。
明治20年、同信者相寄り石塔献立す。昭和40年建部神社前に遷す。眼病治癒の仏様(当初は港の道脇にあり)。

 

 ■鳥居伝承
 芦田川の河口沖を大阪へ航行中の米問屋船が大時化(おおしけ)にあい難破寸前に灯りを見つけ辿り着いたのが建部神社で、御加護の賜物と感激し、鳥居と石段を奉献された。 

   

(左)風雨にさらされ、肉眼でヤッとこさ読み取れましたけど(^.-)☆

  

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