2008年 晩秋の話題を集めてみました(^.-)☆ <1/8>
 ■2008年12月20日
 我が町内の紅葉も、今年はこれで見納めですネ(^.-)☆

 我が町内の紅葉も、いよいよ今年はこれが見納めのようですネ。
 ゴンchanと散歩しながら眼に入ります景観を撮りましたものですけど、この一週間後には凡て散ってしまいましたよ(^-^)
 
 金色に輝きますイチョウ…何度眼にしましても実にキレイ(^_^)v
 温かい日差しに映えましてイィものであります。
 
 とは言いましても、こぅして周辺の紅葉をボンヤリと眺めておりますと、チョッとうら寂しい気持ちも湧いてしまいます。
 どことなく静寂な秋…やっぱり哀愁が漂いますネ(^-^)
 
 ところで、話しは変わりますけど、今日の中国新聞sanにこんな記事の掲載が…
 
 ■篤姫、錦帯橋に立ち寄る
 
 --- 2008/12/20 中国新聞 ---
 
 徳川十三代将軍の正室、天璋(てんしょう)院篤姫が、江戸城へ向かう途中、岩国市の錦帯橋に立ち寄っていたことが分かった。岩国徴古館元館長の宮田伊津美さん(62)=同市平田=が、岩国藩の歴史をつづった古文書の中から記述を見つけた。「物見遊山しながら、のんびりした道中だったのでは」と想像している。
 
 古文書は、江戸時代の岩国藩士が藩と近郊の出来事をつづった「岩邑(がんゆう)年代記」。嘉永6(1853)年9月11日の部分に「薩州姫君様、昨夜高森泊にて、今日大橋御廻(まわ)り」とあり、錦帯橋そばで小休止したことや、篤姫の結婚が町で評判になっていたことが記されている。その夜は大竹市の「久波(玖波)御泊の由」との記述もあった。
 
 宮田さんは先月末、篤姫が上京の際、岡山県矢掛町の山陽道の宿場に同年9月17日に泊まったことを報道で知り、「錦帯橋にも来たのでは」と推察。日数をさかのぼって、地元の古文書の復刻版を調べ、突き止めた。
 
 …と、こんな記事でありましたけど、ふ〜ん、そぅでありましたか(^.-)☆
 
 NHKsanの大河ドラマ「篤姫」は、GONsanも大概欠かさずズッとテレビで観て来ました。
 その篤姫が、江戸に嫁ぎますために山陽道を通りましたとは…
 薩摩から江戸までの長くて遠い距離ですから、大阪辺りまでは船旅だったのかも…と思っておりましたら、陸路での江戸までの道中。さぞ、お疲れだったものとお察し致しますよ。
 
 ですから、その道中では、各地の色んな名所に立ちより旅の疲れを癒しておられましたのは充分理解も出来ますねぇ〜
 そんな名所の一つの岩国錦帯橋に立ち寄りとは…
 
 それに玖珂の“高森”と言いますと、位置的には岩国市と光・下松の中間辺りとなりますか…
 この高森の宿に宿泊が9月11日。
 そして、矢掛の宿に到着が9月17日ですから、この間を一週間要しましてのユッタリとした行程。
 車も汽車もありません当時とは言いましても、あまりにもノンビリとした旅に感じられてなりません。
 
 13代将軍に嫁ぐとは言いましても挙式の日取りも決まってはいなかったのでしょうから、それこそユッタリと江戸に向かっていましたのかも分かりませんねぇ〜
 ひょっとしましたら、福山にも神辺に本陣がありましたから、神辺の地にも宿泊されましたのかも…
 福山周辺では何処で物見遊山されましたのでしょうねぇ〜
 
 とにかく、大河ドラマの“篤姫”が終わりました直後ですから、当時、篤姫がこの山陽道を通り江戸に向かったのかと思いますと、妙に感慨深い気持ちを抱いてしまいますよ。
 賑やかな道中でしたのでしょうけど、それにしましても江戸に到着しました時には、さぞお疲れでしたでしょうねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

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