福山市鞆の浦 対仙酔楼 内部一般公開 <1/5>
 ■2005年11月17日 んっ!?鞆の“対仙酔楼”の内部を一般公開…なら、是非、出かけなくては(^.-)☆

 今朝、いつものように朝刊を片手に朝食を取っていますと、こんな記事が眼に飛び込んで来ましたよ(^_^)v
 今まで、福山市鞆町の「対仙酔楼」に関する話題をネット上で検索しましても出ては来ませんでした。
 挿入しています画像が“対仙酔楼”なんですけど…

 で、この「対仙酔楼」は、ズッと一般公開はされないものと思っておりましたけど、ふ〜ん、この土曜日に無料で一般公開されますとは結構嬉しいGONsanです(^.-)☆


 《「対仙酔楼」眺望楽しんで》

 --- 2005/11/17 中国新聞 ---

 ■鞆 頼山陽も絶賛 19日初公開

 江戸時代の儒学者頼山陽(1781〜1832年)が「山紫水明」という熟語を考案した場所とされる福山市鞆町の「対仙酔楼(たいせんすいろう)」の内部が19日、初めて公開される。対岸の仙酔島などの絶景を望める江戸後期の門桜で、1日だけ特別公開される。

 対仙酔楼は、酒製造や問屋などで栄えた豪商「大坂屋」が建てた邸宅の門楼。木造2階建て延べ約250平方bで、1階と2階にそれぞれ三部屋ある。正面に仙酔島と海を望み、客をもてなす施設として使われていた。現在は福山市内の会社社長が所有する別荘で、内部は非公開だった。

 頼山陽は鞆を訪れる際、大坂屋に長期滞在したという。1814(文化11)年、大阪屋当主の三島怡斎に求められ、門楼を「対仙酔楼」と名付け、書を残した。

 さらに、同じ年に読んだ漢詩「対仙酔楼記」の中で、窓から見える仙酔島や瀬戸内海の景色を「山紫水明処」と描写し、熟語の語源となったとされている。

 企画した市鞆の浦歴史民族資料館(鞆町)の檀上浩二学芸員(48)は「美しい景色があり、港町の文化を集積した鞆の歴史を示す貴重な建物。山陽が愛した景色を、ぜひ楽しんでほしい」と話している。公開は午後1時半〜4時。無料。学芸員による解説もある。同資料館は、頼山陽と対仙酔楼の資料を特別展で紹介している。084(982)1121。(赤江裕紀)


 …と、こんな記事でありました(^.-)☆

 今まで何度もこの対仙酔楼の前を通っていまして、何度か対仙酔楼の建物の写真のみは撮っておりました。挿入しています画像も、何年か前の画像なんですけどネ(^-^)
 まぁとにかく、今朝は朝から大変嬉しい中国新聞sanの記事でありました(^_^)v

 先週の福山城公園の“伏見櫓内部の見学会”も、こぅして新聞紙上・テレビ等でアピールされました関係で大変大勢の方々が見学に訪れました。
 今回の対仙酔楼の内部の一般公開でも、大勢の方々が集まって来られますのでしょうねぇ〜

 とにかく、こぅした一般公開は、もぅ二度と機会に恵まれませんでしょうから、是非とも出かけなくちゃぁ!!
 2005/11/19(土) “対仙酔楼”特別公開に早めに出かけて正解でした(^.-)☆

 今日・土曜日は、A.M.10:00よりジョギング開始。ランニングパンツ・ランニングシャツでは寒いかも…と、今日から上下ともトレーナーに替えたのは良かったのですけど、まだまだ走ると暑いようですネ。トレーナーでのジョギングは、少し早過ぎた感じです(^-^;
 でも、この時期に未だにランニングパンツ姿はGONsanくらいなんですけどネ(^.-)☆
 
 ジョギングから戻って来ますと既に正午。
 急いで軽く昼食を済ませ、出かける準備。今日は“対仙酔楼”内部の一般公開日なんです。
 P.M.1:30〜4:00までの一般公開ですけど、訪れます方が多いかも分かりませんから少し早めに出発です。
 
 嫁さんも誘ったのですけど気乗りしませんようで、鞆の浦まで嫁さんに送って貰いましたが、P.M.1:00過ぎに到着でした。既に10数名程度の方が“対仙酔楼”前で待機しておられまして、随分早過ぎましたかも(^-^)
 
 で、“対仙酔楼”周辺の景観でも画像に納めよう…と思っておりましたら、開始時刻前に“対仙酔楼”建物内部に入れて頂きまして、2階の畳の部屋で仙酔島を眺望しながら早速、説明開始となりました(^_^)v
 
 人数は25名ばかりの方々でしたでしょうか…
 20分ばかり“対仙酔楼”のお話しを伺い、後は皆さんカメラを片手に思い思いに画像に納めておられます。
 今回の参加者は意外に少なかったなぁ〜と思っていたのですけど、内部見学を終え外に出ますとビックリですよ(^.-)☆ 大勢の方々がいつの間にかヤッて来ておられまして、列を作っての待機ですから(^-^)
 私も早めに訪れまして正解でしたようですネ(^_^)v
 
 関心がありません方に取られましては、何でもない“対仙酔楼”内部ですけど、二階の畳の部屋で瀬戸内の仙酔島・弁天島を眺望しながら頼山陽も色んな事を練られたのかと考えますと、遠い昔に想いを馳せてしまいます。
 それでは、何枚かの画像で“対仙酔楼”をご案内致しますネ(^-^)/
 
 対仙酔楼の見学後は鞆港方面に歩いておりますと、嬉しい事に昔懐かしいボンネットバスに遭遇です(^.-)☆
 このボンネットバスは土・日曜・祭日に限定運行の「福山駅」〜「鞆港」間の直行便ですから、仲々乗る機会もありませんし、運転手sanにお願いし写真のみ撮らせて頂きました(^_^)v
 こぅして新旧の鞆鉄バスsanの車輛が同じ場所に停車していますのも、何となく不思議な気持ちですよ(^-^)/
 
 帰路は我が家近くのバス停より一つ前で下車し、ノンビリと散策しながら我が家にと向かいます。
 公園内で子ども達が落ち葉を集めて遊んでいましたのが、ヤケに印象に残ってしまいましたよ(^-^)//"

 

(左)(右)P.M.1:00過ぎに“対仙酔楼”に到着しますと、既に10数名の方が訪れておられました(^.-)☆

   

 

(左)弁天島です (右)“対仙酔楼の特別公開”のポスターと入口です(^-^)/

  

(右)時間前でしたけど、中に入れて頂けました(^_^)v

 

(左)(右)二階の畳の間です(^_^)v ここに座って頼山陽を始め色んな著名な文人が、色んな事を練られましたのでしょうねぇ〜

   

↑↓ 暖かくて天気の良い時期での、ここからの瀬戸内・仙酔島・弁天島の眺望は最高でしょうネ(^.-)☆

 

 

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