福山駅〜リーデンローズ間を結びます“シンボルロード” <1/2>
 ■シンボルロードを青く舗装 福山

 --- 2006/05/07 中国新聞 ---

 ▽3交差点付近 商店街が提案

 福山市が、JR福山駅南口から広島県松浜町のリーデンローズ前まで整備を進める「シンボルロード」で、車道の一部が青色に変わった。一帯には戦後しばらくまで入り江が流れ、福山城下へと舟が行き交った。水面(みなも)の面影を今に残そうと、沿道の「きたはま通り商店街振興組合」(星野由章会長)などが、市に呼び掛けて実現した。(畑山尚史)

 青い舗装となったのは、国道2号より北側で御船町、船町、笠岡町、元町、宝町にある三つの交差点付近。交差点へ進入する車道の横断歩道から手前三十メートルの部分と、交差点の内部に色付けした。付近の歩道の二カ所には、入り江に架かっていた木綿橋、天下橋を模した欄干の石製モニュメントを配置し、入り江の情緒をしのばせる。

 入り江は、福山城の築城に併せて造られ、現在のシンボルロードの南側を流れていた。沿岸には備後絣(がすり)の材料となる木綿を扱う市などが並び、にぎわったという。しかし鉄道や自動車交通の発達などで衰退し、一九五〇年ごろまでに埋め立てられた。同組合の名称である「北浜」は、入り江沿いの町の名残を示す。

 シンボルロードの整備事業は中心市街地の活性化を狙い、市が九九年度に始めた。事業に合わせて同組合を中心に地元住民らが協議会を結成。入り江があった往時の風情を復活させようと、提言を重ねてきた。青色の舗装もその一つ。「子どもたちや来訪者に、入り江があったことを知ってもらいたい」。こんな住民の願いがかなった。

 同組合の高野国昭専務理事(65)は「整備でかつての城下町の活気が少しでもよみがえれば。いずれはシンボルロード全体を青い舗装にし、入り江を地上に再現したい」。地元ではさらなる夢が膨らんでいる。


 ■2006年05月25日
 福山駅〜リーデンローズ間を結びます“シンボルロード”…一部完成しましたようですネ(^.-)☆

 福山市が、JR福山駅南口から広島県松浜町のリーデンローズ前まで整備を進める「シンボルロード」ですけど、車道の一部が青色に変わり、国道2号線から北側部分が完成しましたようですネ(^.-)☆

 先日・5/20(土)の“福山バラ祭り”の際に少し時間がありましたので、ぶらぶらと散策しましたGONsanです。
 ご覧の通り市道は青色に変わり、電線も地下に埋設。スッキリと整備されましてキレイになりましたネ(^_^)v

 この日はバラ祭りの開催中と言う事もありまして、昔懐かしい「とんど」も設置されておりました(^.-)☆
 今でこそ福山市の最大イベントとして“バラ祭り”が挙げられますけど、以前は『福山とんど祭り』が最大のイベントでありました。が、車の増加に伴いまして道路事情より“とんど祭り”は廃止。以降は、市をあげて取り組みましたのがこのバラ祭りなんです。

 こんな経緯もありますから、設置されました“とんど”を眺めておりますと、幼少時代に想いが向きまして実に懐かしさがたGONsanでありましたよ(^-^)
 この様子は、中国新聞sanがこんな記事で伝えておられました。


 ■シンボルロード一部完成 福山

 --- 2006/05/19 中国新聞 ---

 福山城下の旧入り江沿いで福山市が整備を進めているシンボルロードのうち、国道2号の北側部分が完成した。二十一日、福山ばら祭2006に合わせて地元住民が式典を開く。完成を記念し、かつて中心部で市民が担いだり、台車を引いたりした「とんど」を復活。沿道の一角には、入り江のあった当時の写真を展示する。(畑山尚史)

 完成したのは、元町、宝町の市道交差点から国道2号までの約五百三十メートル。水をイメージし車道の一部を青く舗装し、歩道にはガス灯や入り江に架かっていた橋のモニュメントなどを設置した。

 地元のきたはま通り商店街振興組合(星野由幸理事長)などが市に提言を重ね、完成にこぎ着けた。二十一日の式典では、通り全体を全長千メートル余りのテープで囲み、千六十人で一斉にテープカットをして祝う。

 復活させたとんどは二基。天頂に鶴亀をあしらった高さ約十五メートルの伝統的なスタイルと、長さ約九メートルの宝船で、同振興組合のメンバーや住民らが半月がかりで作った。「鶴亀」は完成した道路沿いとなる宝町の旧中国銀行福山船町支店前に展示、「宝船」はばら祭のパレードで台車に載せて披露する。

 写真は四枚を展示する。昭和時代初期ごろに撮影され、入り江に泊まった小舟や行き交う人々が写る。星野理事長は「城下町の繁華街として栄えたかつての活気をよみがえらせようと提言してきた。市外からも人が集まるような町にしたい」と意気込む。

 同振興組合は、テープカットの参加者を募集している。希望者は二十一日午前九時十分までに、はさみを持って「鶴亀」のとんどの前に集合する。問い合わせは、(084)925-0308。


 …と、こんな記事で(^-^)

 このシンボルロードのリーデンローズ前までの全面完成は、いつになりますのか分かりませんけど、完成しますと福山駅〜リーデンローズまでの歩行は適度な距離で楽しいかも分かりませんネ(^-^)

 それにしましても、何となく目障りな電線・電柱も、取り除かれますとこんなにもスッキリとした景観にと様変わり(^_^)v
 市内の凡ての電線をこぅして地下に埋設されますと、どんなにか美しい景観にと変貌しますのでしょうけど、資金面から考えますととても無理(^-^;
 ですけど、いつの日か凡ての電線が地上から消え去りますと嬉しいかも分かりませんねぇ(^-^)//"

  

  

 

  

  

   

   

 ■2006年06月13日
 先週6/7(水)の朝日新聞記者sanの取材…昨日の朝刊に掲載がありました(^.-)☆

 先週水曜日の夕方、船町のシンボルロードを画像に納めながら歩いておりましたら、対面側で同じように写真を撮っておられます方に遭遇でした(^.-)☆
 で、“何の写真を撮っておられるのですか?”と尋ねますと、「朝日新聞の記者なんですけど、6/12(月)の朝刊にシンボルロードの話題を掲載するものですから…」との事でありました。

 それで私も記者sanにご無理お願いしまして「写真を撮っておられます姿を後方から撮らせて頂けませんか?…」とお願いしますと、苦笑しながらも快く応諾して下さいました記者san。
 以降は、ズッと6/12(月)のヤッて来ますのをひたすら待っておりました。
 そして、ヤッと記事を拝見(^_^)v


 ■週間 まちぶら

 --- 2006/06/12(月) 朝日新聞 ---

 かっては城下町の船着き場としてして栄え、福山きっての老舗が建ち並ぶ船町かいわいが大きく変わりつつある。青色の道路、石橋のモニュメントなど、入り江の情緒を再現した「シンボルロード」の整備が進み、新しい店も相次いでオープン。商店主らは「にぎわいを取り戻そう」と懸命だ。(向井光真)

 ◆入り江の風情いま再び

 JR福山駅前から南東へ延びる「きたはま通り商店街」。48店が加盟する商店街を貫く幅20bのメーンストリートの車道部分(9b)は、青色。両脇の歩道にはヒマラヤザクラ、ケヤキなどの街路樹57本が並び、電線も地中化されて開放的な明るさと落ち着いた雰囲気が漂う。

 旧中国銀行福山船町支店前の交差点と天下橋アーケード付近には、石橋の欄干をあしらったモニュメントや小さな水辺空間、ガス灯もある。同支店前に置かれた鶴亀を飾った高さ約15bもの四角すい型と、長さ約10bの宝船型の2基の「とんど」も圧巻だ。

 江戸時代、この一帯は福山城の外堀と瀬戸内海をつなぐ入り江だった。京都・伏見城にあった欄干を取り付けた「本橋」(通称・天下橋)と「新橋」(同・木綿橋)が架かり、たもとでは、備後がすりの材料となる木綿の市が開かれ、にぎわっていた。

 昭和初期まで、コメやミカンなどを運ぶ小舟がひっきりなしに往来し、福山初の銀行となった旧福山銀行本店もここに置かれるなど、商業の中心地として栄えていた。

 だが、入り江の埋め立てで、1938(昭和13)年までに橋は消滅。戦後は中心市街地の空洞化が進む中、店も客足も減り続けた。

 市は繁華街活性策の一環として、通り全体の景観をそろえるシンボルロード整備事業に99年度から着手した。商店主らも、入り江があった時代の風情を再現しようと提案を重ね、今月3月にようやく完成にこぎつけた。

 5月21日の「福山ばら祭2006」では、商店主ら約20人が中心になって、江戸時代からの伝統行事「とんど」を36年ぶりに復活させ、街の再出発を盛大に祝った。

 街並みの評判を聞きつけて訪れる人も増えている。同商店街振興組合理事長で、約400年の歴史を刻む結納品販売店「紀伊国屋」の18代目、星野由幸社長(75)は「シンボルロードは地域の財産であり、誇り」と喜ぶ。「祭りやパレードなども催していきたい。今後10年で商店街がどう変わっていくのか本当に楽しみです」



 ※ 写真説明:入り江をイメージした青い道路。電柱のない歩道に据えられた石橋のモニュメントと2基の「とんど」、モダンな街灯も、まちの歴史を伝えている=福山市船町で

 …と、こんな記事でありました(^.-)☆

 いずれは、天満屋ポートプラザ・イトーヨーカ堂にと繋がれ整備されます“シンボルロード”。
 市の目論見通り、繁華街活性策の切り札となりましたら宜しいですネ(^-^)//"
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