上 諏訪・下諏訪 <1/5>

 御柱祭 --- 7年に一度の天下の大祭 ---

 雄大・豪壮な行事で全国に知られている「式年造営御柱祭」は、7年目毎の寅と申年に行われる大祭である。 御柱の曳行・建立と宝殿の御造営などで、その起源はつまびらかでないが、社伝によると今から1,200余年前、桓武天皇の時、東征にあった征夷大将軍・坂 上田村磨が諏訪明神に戦勝を祈願、神の加護で見事勝利を得たことから、以来7年毎に神殿の改造をしており、諏訪の民は用材の御柱曳きを祭事としていたが、 戦国時代になると7年目毎の御造営が意のままにならなくなり、代わりに社の四隅に柱を立てることになったという。

 諏訪大社の御柱祭の準備は御柱用材の見立てから始まる。仮見立て、本見 立てを経て伐採が行われ、御柱祭本番を迎える。準備から本番まで4年がかりの祭りです。寅(とら)と申(さる)の年に行われる実質6年に1回めぐってくる 祭りだから、諏訪地方から「御柱」の2文字が消えているのは祭り終了後の2年間だけ。諏訪っ子は長い準備期間にエネルギーを蓄え、6日間の祭りで一気に爆 発させる。

 本番の山出し祭、里曳(び)き祭はともに上社が先に行われるが、準備作業は下社が1年先行する。御柱祭の3年前、下社のご用材を切り出す下諏訪町東俣国 有林で仮見立て。モミの巨木が林立する深山に木やり歌が響き、御柱祭の主役8本が内定する。

 上社の仮見立てはこの翌年で、本番の2年前。下社はこの年に本見立てがあり、ご用材が決定する。1年前には下社ご用材が伐採され、山出し祭出発地点の棚 木場まで下ろされて静かに本番を待つ。上社は仮見立てが行われる。

 上社の伐採は御柱祭の直前。当年の2月15日に抽籤(ちゅうせん)式があり、本宮、前宮各4本の曳行(えいこう)分担が決定した後、3月に伐採される。 上社は八ケ岳・御小屋山の大社社有林からご用材を切り出しているが、御柱に適した大きさのモミが減ってきたため、1998年の前回は東俣国有林で伐採し た。下社は曳行分担が固定しているため抽籤式はない。

 網打ち、木づくりなどの準備作業に続いて4月は御柱祭第1幕の山出し祭。前回は上社が3、4、5日、下社が10、11、12日に行われた。木落とし、川 越しなど見どころがいっぱいの祭りです。1カ月後の5月が里曳き祭。曳きつけられた御柱が社殿を囲む四方に建てられる。前回は上社は大型連休中の3、4、 5日、下社は翌週の9、10、11日に行われた。長持ち、御騎馬、かさ踊りなど出し物も多彩で、華やかな祭り絵巻が繰り広げられる。

 山出し祭、里曳き祭の間には古い御柱を倒す「御柱休め」の行事がある。古い社殿から新しい宝殿に御霊代(みたましろ)を移す遷座祭は下社が里曳き祭前日 の5月8日に春宮で、上社は6月15日に本宮で行われた。

 上社、下社の御柱の大きな違いは上社が「メドデコ」が御柱の前後に付くのに対し、下社は付かないことです。角のように突き出たメドデコは御柱をスムーズ に動かすために付けられたといわれる。現在はメドデコも長くなり、ここに大勢の氏子が乗っておんべを振り、祭りをいっそう華やかなものにしている。これに 対し、下社は前後にめど穴を開けて綱を付けるだけ。古い時代からの素朴な御柱だ。


--- 観光パンフレット より ---
 

↑↓ いずれも観光パンフレットより引用させて頂きました

   

 

(左)来年の“御柱祭”が近づいていますから、こんなポスターが アチコチに(^.-)☆ (右)JR中央本線“茅野”駅前の景観です



早朝散策時の諏訪湖の景観です 上諏訪駅付近です

   
    
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