熊本市 水前寺公園 <1/4>
水前寺成趣園(水前寺公園)

 --- 祭祀沿革 ---

 明治10年西南の役で熊本の城下は焼野ヶ原となりました。旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者相集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建し、細川藤孝公ほか三柱を斎鎮しました。

 後に歴代の藩主十柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀されました。

 たまたま先の第二次世界大戦の戦禍を蒙った社殿は殆ど焼失し、辛うじて難を免れた御神庫と神楽殿を旧社地に移し仮社殿としてお祭りして参りましたが、昭和45年に至り御神殿の御再建の気運高まり「御復興奉賛会」を設立し工事を進め、越えて昭和48年12月7日現在の社殿が見事に完成しました。 <--- 観光パンフレットより --->

出水神社

 神苑・成趣園を境内とする出水神社は、明治維新の際、歴代の藩主をこの地に祀って永く報恩の誠を捧げたいと有志が集い創建されました。時は折しも西南戦争で熊本城下が荒廃の極に達していた明治11年のこと。

 城下復興の願いも込められていました。
 御祭神として藩祖細川藤孝公、二代忠興公、三代忠利公、八代重賢公および歴代藩主、並びにガラシャ夫人を奉祀。学問・武道・産業の神として広く神徳を慕われています。

   

  

(中)この正面が水前寺公園入口です(^.-)☆

  

(左)出水神社社務所 (右)神水“長寿の水”の表示板がありました(^.-)☆

  

(左)(中)出水神社です (右)五葉の松

  

  

  

(左)御復興記念碑“光復” (右)出水神社

  

(左)神楽殿

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