講中の皆様と西九州のお寺巡り <8/16>

  

 

  

 ■2007年05月28日
 町内の“講中”の皆様と一緒の九州お寺巡り -- G --

 翌朝は、A.M.5:00に起床です(^.-)☆
 サッと朝方の温泉に浸かり早朝散策に出かけましたのは、A.M.5:30でありました(^-^) もっと早く散策に出かけたかったのですけど、やっはりこんな時間となりますネ(^.-)☆

 ホテルを出ますと、早速、“雲仙温泉・地獄巡り”の開始です。
 まだどなたも散策してはおられないかも…と思っていたのですけど、既に、スーツに着替えて朝の散策を楽しんでおられます男性が一名(^-^)
 GONsanは2番目でありました。


 ■雲仙温泉

 島原半島中央にそびえる雲仙岳一帯は、日本初の国立公園に指定された温泉保養地。硫黄のにおいと水蒸気に包まれた大小30からなる雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台になった所でも知られており、哀しい歴史と悲話が今に残る。
 平成2年に噴火した「平成新山」を近くに眺め、春はミヤマキリシマを楽しむことができる。

 その昔は「温泉」と書いたといわれる雲仙は、その名の通りあちこちから熱湯が吹き出しています。
 硫黄の匂いがたちこめ、まさに地獄と呼ぶのに相応しい景観です。
 
 地獄巡りの遊歩道は、雲仙温泉街の中心にあり、大叫喚地獄や八幡地獄、清七地獄など30あまりの地獄が点在しています。歩道の途中には、浄波璃の婆石と鏡石もありました(^-^)/


 …と、こんな“雲仙温泉・地獄巡り”。

 今回が二度目の「雲仙温泉・地獄巡り」となりますけど、初めて訪れましたのは、遠い昔の中学校修学旅行の際でありました。と言う事は、今から40数年も昔の事になりますのですねぇ〜

 二度目の訪問で懐かしい…と言うよりも、修学旅行で訪れました時の様子はまったく記憶にありませんようですよ(^-^;
 アッと言う間の40余年ではありますけど、振り返ってみますと、結構長い期間ではありますねぇ〜

 地獄巡りも記憶になぃなぁ〜
 当時のアルバムを持ち出して見てみれば、当時の様子も鮮明に蘇って来ますのでしょうけどネ(^-^)//"

 

 ■吉井 勇

 --- 1886年(明治19年)10月8日〜1960年(昭和35年)11月19日) ---

 吉井勇は歌人、脚本家である。元伯爵。

 ◆経歴

 東京芝区生まれ。祖父は吉井友実。1900年4月に東京府立第一中学校(現・都立日比谷高校)に入学、落第したため、のちに日本中学(現・日本学園中学校・高等学校)に転校。漢学塾へ通って、『十八史略』『文章規範』などを習う。この頃『海国少年』に短歌を投稿し、一位となる。

 その後変転を経て、1905年には攻玉社を卒業後、胸膜炎(肋膜炎)を患って入院、鎌倉の別荘へ転地療養した際、歌作に励み、『新詩社』同人となり、『明星』に次々と歌を発表し、北原白秋とともに新進歌人として注目されるが、翌年には脱退する。

 1908年早稲田大学文学部高等予科に入学する。途中政治経済科に転ずるも中退。
 1909年1月、森鴎外を中心とする『スバル』創刊となり、石川啄木、平野万里の三人で交替に編集に当たる。三月には戯曲「午後三時」を『スバル』に発表。坪内逍遥に認められ、続々と戯曲を発表して、脚本家としても名をあげる。

 1915年11月、歌集「祇園歌集」を新潮社より刊行。装幀は竹久夢二、このころから歌集の刊行が増える。

  

   

   

  

   

  

 

  

  

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