熊本県 本渡市 <4/13>
殉教戦千人塚

 寛永14年、幕末のキリシタン禁令による弾圧と過酷な年貢の取り立てにより、天草・島原の男女農民3万7千人が12万余の幕府軍に抵抗し戦いました。

 天草四郎時貞を大将にしたこの「天草・島原の乱」は富岡城の攻撃に失敗し、天草四郎らは島原に渡り島原の一揆勢とともに原城に籠城。一揆側は幕府に内通していた者一人を除き、全て殺害されました。

 毎月10日、この乱での戦没者を弔うため「天草殉教祭」が行われています。

 

↑↓ 前日の夕方同様、滞在2日目の早朝もまた殉教公園内を散策でした(^.-)☆

  

   

  

   

 

島原の乱

 「天草・島原の乱」は、世にキリシタンの反乱と伝えられているが、実は幕府体制下の悪政と重い年貢に対する農民一揆でもあった。後に天領天草の初代代官として富岡に着任した鈴木重成は、年貢の軽減を幕府に嘆願し切腹して天草の実情を訴えたとされている。

 

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