2022/04/02(土) 備陽史探訪の会「ぶら探訪足利義昭と津郷公儀御座所=vに参加 <2/5>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この塀の向こう(東側)に、足利義昭の居館がありましたのかも…

 
◆御殿山

 --- 当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 津之郷町大字津之郷本谷の丘陵上にある足利義昭を祀る惣堂明神社の東の平坦面で、足利義昭の居館跡と伝えられています。居館と伝わる平坦面は、東西50m、南北25mあり、切通を挟み西に惣堂明神社があり、南側には階段状に平坦面が続き義昭近臣の居所だったのではないかと言われています。
 義昭が、この地に御座所を移した明確な時期は、史料の不足からわかっていませんが、天正10年(1582)秋から天正13年頃の間ではないかと推定しています(「吉川文書」五〇一)(「三浦家文書」一〇七「水野記」。

 

 

 

 

 

 惣堂明神社を後にしますと、次は「合戸砦跡」を訪問です。
 農地を横目にノンビリと歩いておりますと、んっ!?…農地の片隅に天文台が(^-^)
 まさか、低地のこんな場所で天体観測も難しいでしょうから、天文台を模した洒落た建物ですけど、う〜ん、ひょっとしたら農機具置き場の建物なのかも(^-^)
 丁度、天文台脇でトラクターで農作業をしておれますから、きっと、農機具置き場なのかも分かりませんねぇ〜とにかく、微笑ましい視線が向かってしまいます(^.-)☆
 ほどなく、「合戸砦跡」に到着となりました。こんな案内板が…

 
◆合戸砦跡(ごうどとりであと)

 合戸砦は、観音堂、合小倶楽部のあたりにあったと思われる。ここは、標高23mの丘陵にあり、福山市街地を一望出来る。
 『西備名区』では、城主として横山修理亮・横山土佐守を挙げて、天正年中(1573〜1592)小森の横山氏の従士としている。この観音堂の裏の横山家の墓地には十数基の戦国期頃といわれる五輪等があった。この五輪塔は現在、夕倉の月光寺に移設されている。
 合戸は地名から古代の国郡郷制時代の、郡役所のあったところではないかと言われている。

 --- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---


 備陽史探訪の会より貰った当日の史料には、こんな記載が…

 ◆合戸砦

 --- 当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 津之郷町大字津之郷合戸、大目、小山に跨る丘陵上に伝わる砦跡で、現在は、観音堂や地域の集会所があり、『西備名区』(江戸時代の地誌)には、小森の従士として横山修理亮・横山土佐守が記されています。
 砦の機能として、現状の地表面から防護の為のパーツが想定できるのは、石積となっている斜面のみですが、中世の末期頃の主要往還を取り込む立地であると推定できます。
 北側の高まりの墓所には、横山氏の五輪塔が並んでいましたが、今は月光寺に移され、一部五輪塔の部材が確認出来ます。


 …との事であります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →