2022/08/26(金) 福山市草戸町「草戸山城跡」散策 <9/9>

 

 

 

 陸軍墓地に向かいます道へと降りて来ますと、この道の山裾には永い歴史を感じさせます墓石群が横一列に…
 何らの説明板もありませんから、どなたの関係の墓石なのかよく分かりませんけど、充分、時の流れを感じさせます墓石ではありますネ。
 道を挟んで、これらの墓石群の前あたりに、「佐戸島(さどしま)小学校跡」の案内板が…


 ◆草戸・川西歴史街道 散策路 <9>佐戸島(さどしま)小学校跡

 この下の広場に明治44年〜昭和8年の間、佐土島小学校がありました。
 佐戸島とは現在の佐波町「佐」と佐土町の「戸」、神島町の「島」を組み合わせた名前です。その後、福山市と合併し、草戸町の児童は霞小学校に、他の町の児童は西小学校に編入しました。
 明王院下の石碑あたりから登っていました。併設して村役場もありました。

 
--- 草戸の歴史を愛する会 2012年12月協賛 一般財団法人 義倉 ---

 …と、こんな記載がありましたので、小学校跡と思われます広場を見下ろしてみましたけど、雑草が生い茂り足を踏み入れる事は出来ませんでしたネ。
 墓地群前の道を奥に進んで行きますと、陸軍墓地がありますのでしょうけど、今回はスルー。またの機会に訪れてみたいと思います(^-^)


 ◆草戸・川西歴史街道 散策路 <10>陸軍墓地

 --- 草戸の歴史を愛する会 ---

 福山歩兵41連帯墓地として明治41年(1908年)に造られたが、結局兵隊の墓地として使用されることはなく、現在は一般人の墓地となっている。
 当時はこの地から福山市が一望でき、この地で41連帯が演習をしていた。
 この場所が陸軍墓地である証を示すものは少ないが、「陸軍用地」と彫られた石(写真1)がそばの溝に放置されており、(写真2)がこの地から草戸山に登る途中で見つかった。
 また、福山歩兵41連隊墓地造成に関しては、その費用について昭和の初めまで村役場と住民の間で騒動を起こしていたことが古文書から見つかった。

 
--- 2013年10月 この事業は福山市協働のまちづくり基金を活用して実施しています ---

 WEB上には、こんな記載も…

 ◆福山陸軍墓地

 名 称 -- 福山陸軍墓地
 場 所 -- 34.47703, 133.34726(座標) グーグルマップ
 福山陸軍墓地は現在、明王院墓地となっている。
 戦後、(福山)陸軍墓地は明王院へ払い下げられ、(福山)陸軍墓地に埋葬されていた遺骨は遺族に引き取られたと資料にあるが、現地案内板には「陸軍墓地が造られることはなかった」とある。どちらが正しいのだろうか?
 (平成26年1月12日参拝)
 
--- http://nippon-gokoku.sakura.ne.jp/rikugun-bochi/60fukuyama/fukuyama.html ---

 それでは、明王院へと戻ります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸軍墓地への進入路入口辺りから見渡します明王院…本堂は樹木に遮られ一部隠れますけど、五重塔が大変キレイです(^_^)v
 明王院を画像に納めますのには、ここからのアングルもイィですねぇ〜境内下の庭園も見下ろせますし…
 弁財天像が佇む池(弁天池)の畔には、「心経筆塚」が…焦点の定まりません眼でボンヤリと池を見つめておりましたGONsanですけど、心が落ち着きますイィ場所でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 弁天池の手前には七福神像が並んでいますけど、毘沙門天を見つめますこの小動物は何なんでしょう?犬なのかも…
 それでは、弁天池・七福神像とお別れし、最後にもぅ一度、五重塔をパチリ。では、退散です。
 明王院入り口脇(明王院の塀を抜けてすぐ左手)にあります建物は「閻魔堂(えんまどう)」。十王堂(じゅうおうどう)とも呼ばれます。江戸時代初期の慶長年間に再興され、平成2年(1990年)に再建されました。閻魔堂には閻魔大王と、ほか十王が祭られています。

 ◆十王堂

 死後の世界をつかさどる十人の王をまつったお堂。
 泰広王(不動明王)・初江王(釈迦如来)・宗帝王(文殊菩薩)・五官王(普賢菩薩)・閻魔王(地蔵菩薩)・変成王(弥勒菩薩)・太山王(薬師如来)・平等王(観音菩薩)・都市王(勢至菩薩)・五道転輪王(阿弥陀如来)。
 十王とは私たちが亡者になって仏様の世界に入って行く時、 生前の罪業の軽重を裁判し次に生まれて来る世界を決定する冥土の十人の裁判官である。 そして、亡者は供養によって、これらの仏様に救われて仏界に送られるという。


 …と、十王堂をWEB上で検索しますと、こんな記載がありましたネ。
 そぅそぅ、それと、意外と知られていませんのですけど、この明王院には、江戸幕府三代将軍・徳川家光の位牌がありますのですけど、どういう経緯で明王院に家光の位牌があるのかは、まだ解明されていませんようです。
 家光の位牌はふだん一般公開されていませんけど、毎年4月にのみ特別公開されます。GONsanは、今まで未だ一度も拝見しておりませんけど、位牌はかなり大きいようであります(^-^)//"

 

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