2021/01/25(月) 岡山県井原市東江原町「高越城址」散策 <3/3>

 

 石碑下には、「高越城址公園総合案内」版が…これには、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆高越城と北条早雲

 高越城は、鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮定綱に命じて作らせたと伝えています。
 戦国時代には、京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が那須氏に代わって荏原の庄を治め、この高越城を居城にしていました。
 伊勢新九郎盛時(後の北条早雲は)、この備中伊勢氏出身で、永享4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれました。新九郎は、青年時代までこの城で過ごし、西江原の法泉寺で学んだと言われています。
 その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上り幕府に仕え、応仁の乱の後、妹の嫁ぎ先の駿河国(現在の静岡県)の守護今川家に身を寄せました。新九郎は、この今川家の家督争いを治め、56歳にして初めて駿河国の興国寺城の城主となりました。その後、伊豆の国(現在の伊豆半島)、相模国(現在の神奈川県)を治め、88歳で亡くなるまで、北条5代100年の関東支配の基礎をつくり、戦国大名の魁となりました。
 現在も高越城は、山陽道、小田川を眼下に、本丸を含めて5段の郭で構成されており、当時の状況をよくとどめています。

 
--- 平成12年3月 井原市・井原市教育委員会 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も訪れておられません「高越城址」を、タップリと拝見しましたので、この辺で退散です。
 一の郭(早雲ひろば)から眺望の際に、「← 猿掛城・矢掛方面」の案内標識がありましたけど、次回、この近辺を訪れます機会に恵まれましたら「猿掛城」を散策してみたいものであります。
 それに、眼下に「甲弩神社」方向も…距離的に近そうですから、高越城址から下山しました帰路に、立ち寄ってみます事に。
 それでは、「高越城址」とバイバイです(^-^)//"

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