2021/11/21(日) 備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加 <3/6>

 

 

 

 

 

 

佐田谷1〜3号墓を見学しますと、次は、佐田峠1〜2号墓に向かいます。ここも発掘調査後には埋め戻されておりますようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐田峠1〜2号墓の次は、佐田峠3〜5号墓を見学です。
 手前から奥側に向かって、5号・4号・3号墓と存在します。ここも、平成22年に「広島大学文学部考古学研究室」により発掘調査が実施され、土器等が発掘されていますようであります。
 調査後は、また埋め戻しされ、ご覧の現在の状況です(^-^)
 「佐田峠3〜5号墓」をWEB上で検索しましたら、こんな記載がありました。

 
◆「佐田峠(さただお)墳丘墓群発掘調査」現地説明会の報告

 --- 2009年09月07日/発掘調査情報 https://blog.goo.ne.jp/numabunken/e/4a02f4c1602441fb2adc4a354c573cd6 ---

 広島県庄原市宮内町佐田峠(さただお)にある墳丘墓群の発掘調査現地説明会がありました。
 日時:平成21<2009>年9月6日(日)10:00〜12:00
 場所:庄原市宮内町佐田峠(さただお)
 調査主体:広島大学大学院文学研究科考古学研究室・庄原市教育委員会

 広島県北部には、四隅突出墓が多数存在しその調査が進んでいる。
 以前調査された、佐田谷1号墳では、四隅が突出する墳墓として注目されていたが、今回、特に注目されるのは、弥生時代中期以降に四隅が突出する過程となる遡源が一地域で解明できる墳墓群が調査された。
 今回の調査で、方形周溝墓(5号墓)から方形周溝墓(4号墓:列石・貼石を持つもの)、そして四隅突出型墳丘墓(3号墓:貼石・列石を持つ)へと変遷が辿れる墳丘墓が一括して検出されたことが大きな成果と言える。
 また、弥生中期にこの地域特有な「塩町式土器」も出土し、出雲地域が遡源とされていた四隅突出墳丘墓の遡源がこの地域に出現している点も見逃せない。
 概略以上。(文責:椿庵遍照)

 ◆庄原の佐田谷・佐田峠墳墓群、国史跡へ 調査研究・住民の協力結実、新たな魅力づくりに期待

 --- 2021/6/18 21:19 中国新聞 ---

 18日の文化審議会の答申を受け、国の史跡に指定される見通しとなった庄原市宮内町と高町にまたがる佐田谷・佐田峠(だお)墳墓群。遺構の一部発見から約35年を経て、広島県、市教委、広島大(東広島市)の調査研究と地元住民の協力が実を結んだ。
 関係者からは喜びの声が上がり、地域の新たな魅力づくりへの期待が高まる。


 …と、こんな記載が(^.-)☆
 それでは、この辺で「佐田谷・佐田峠墳墓群」とお別れです(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

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