2021/05/31(月) 福山市駅家町「粟塚古墳の丘」散策 <2/2>

 

 

 

 

 

 粟塚3号古墳を眼にしますと、狐塚2号古墳まで下りて来まして、墳丘の上に立ち、周辺を見廻しです(^.-)☆
 これらのいくつかの古墳は凡て、永い年月の間に盗掘されまして、めぼしい物は大して残ってはいませんでしたのでしょうねぇ〜粟塚5号古墳は未だ見ておりませんけど、似たようなモノでしょうからパスし、正福寺裏山1号古墳に向かってみます事に…
 ここには、こんな説明板が…

 ◆正福寺裏山1号古墳(移築)

 この古墳は、もともとこの場所から約500m東の丘陵上に存在し、眼下に加茂平野を一望することができる絶好の場所に築造されていました。
 墳丘は、丘陵頂部の自然の高まりを利用し、地山を削り出して形を整えた直径15mの円墳です。
 埋葬施設は、墳丘中央に方形の墓壙を堀込み、その中に石材を積み重ねて構築した竪穴式石室ですが、天井石は早くから取り除かれていました。
 石室は、長さ2.6m、幅0.7m〜0.85m、高さ0.8mで、側壁は天井に近付くに従って石材を徐々に持ち送り、内傾されています。また、石室の床面中央には、雨水を墳丘外に出す長さ7mの暗渠排水溝があり、石室内部には多量の朱が残存していました。
 建物は、石室内から銅鏡1面が出土しました。外線に連弧文をめぐらせ、獣形の文様を配した径10.2cmの「連弧文縁四獣鏡」で、中国でも日本でも出土例のない珍しい銅鏡です。
 竪穴式石室の構造などから、古墳時代前期(4世紀)に造られた古墳と考えられます。
 なお、古墳から東に続く丘陵上で、弥生時代後期から古墳時代にかけて造られた土壙墓(素掘りまたは木棺を埋葬した墓)が約100基と、箱式石棺が3基見つかっています。

 
 この「正福寺裏山1号古墳(移築)」から下の林方向(公園の柵外)には、「粟塚1号古墳」と「粟塚2号古墳」が有るようなんですけど、柵外で雑草も生えており、進入路もよく分かりませんし、蛇でも出て来ましたらタマりませんので、ここも向かいますのはパスとなりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 それではこの辺で、「粟塚古墳の丘」から退散です。最後に、我が家に帰ります前に加茂町の「石鎚山古墳群」にも立ち寄ってみたいと思います(^-^)//"

 

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