2020/02/18(火) 福山市箕島町「みろく大霊園」からの眺望(^.-)☆ <1/2>

 ■2020年02月19日22:19
 2/18(火)は、箕島の「みろく大霊園」から瀬戸内を眺望でした(^.-)☆


 昨日・2/18(火)のA.M.10:30頃でしたか…我が家の上空を見上げますと、雲一つありません真っ青な空(^.-)☆
 で、こんな日に瀬戸内の海を見下ろしましたら、ギラギラと輝いてキレイだろぅなぁ〜と、出掛けましたのが箕島の「みろく大霊園」でありました。
 我が家から「みろく大霊園」までは、わずかな距離なのですけど、う〜ん、残念。到着時には、上空には結構な雲が(^-^;
 まぁ仕方ありません。せっかく訪れましたのですから、眼に入ります景観を画像に納めます事に(^-^)//"

 
◆みろく大霊園

 瀬戸内海と福山の街並みに囲まれたやすらぎの聖地・みろく大霊園は、海の見える公園墓地。福山市内のどこからでもアクセス良好、段差のないバリアフリー設計で大駐車場も完備した、充実した設備の霊園です。
 公園墓地ならではの美しい自然と景色を楽しめます。


 「みろく大霊園」をWEB上で検索しますと、こんな記載がありました(^-^)/"

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、救世観世音菩薩まで上がってみます事に…

 
◆救世観世音菩薩

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)は、一般に救世観音と称されるが、平安時代の法華経信仰から広まった名称で、この名称は経典には説かれておらず、観音としては正統的な尊像ではないとされる。
 救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名ともされる。救世観音の名称の由来は「法華経」の観世音菩薩普門品の中の“観音妙智力 能救世間苦”との表現にあると推測され、法華経信仰が平安時代に盛んになったこと、さらには聖徳太子の伝説が付帯されることで、この尊名が生まれ、民間で定着したと考えられている。


 …と、こんな「救世観世音菩薩」でありますようです(^.-)☆
 この救世観世音菩薩像の頭と言うか頭巾の部分には「お釈迦様」が…今まで何度か眼にしています救世観世音菩薩像なんですけど、お釈迦様の存在には、今回初めて気付きましたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

救世観世音菩薩像からは、鞆町の仙酔島・弁天島も臨めます。そして、JFEスチール叶シ日本製鉄所も(^.-)☆

 

 ◆JFEスチール西日本製鉄所

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 JFEスチール西日本製鉄所(ジェイエフイースチールにしにほんせいてつしょ)は、広島県福山市鋼管町1番地および岡山県倉敷市水島川崎通り1丁目にあるJFEスチールの銑鋼一貫製鉄所。福山地区と倉敷地区に分かれている。管理業務事務所は福山地区に所在。

 ・概要 -- 日本鋼管と川崎製鉄の合併に伴い誕生。

 ・福山地区 地区概要
 敷地面積1,420万m2(福山900万m2 笠岡520万m2)
 高炉などは福山市に所在するが、岡山県笠岡市にも敷地があり、鋼管などを製造している。県境をまたぐ部分には両国橋と新両国橋という2本の橋がかけられている。

 ・沿革
 1965年(昭和40年)2月 日本鋼管福山製鉄所発足。
 1966年(昭和41年)2月 建設予定地に入っていた陸上自衛隊福山駐屯地閉鎖。駐屯していた陸上自衛隊福山地区病院は日本鋼管の負担で兵庫県川西駐屯地へ新病院建設の上移転、陸上自衛隊阪神地区病院へ改称。
 2003年(平成15年)4月 川崎製鉄との合併により、倉敷と一体の西日本製鉄所となる。

 

 

 

 

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