2019年 某協議会第2分会の皆様と「札幌方面研修旅行」行きでした(^.-)☆ <9/16>

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴会の楽しいひとときが終わりますと、後は解散で、皆さん自由時間となりました(^.-)☆
 二次会に行かれます方…カラオケを楽しむ方…観覧車に向かわれます方…と、様々なんですけど、GONsanはまたまた大通公園を散策となりました。
 明るい内に観ておりますから、さほど、目新しい場所も…ただ、夜景はまた趣が異なりまして、それはそれでイィものであります(^_^)v

 翌朝は、A.M.5:00に起床です。が、さすが北海道です。外はスッカリ太陽の日差しで明るいものでありました(^_^)v
 洗顔後、ホテルを出まして暫し思案。はてさて、どちらに向かってイィものやら…
 観光よりもウォーキングを楽しみます事に…
 で、向かいましたのが中島公園でありました。WEB上で「中島公園」を検索しますと、

 ◆中島公園

 中島公園(なかじまこうえん)は、札幌市中央区にある公園・地名。「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」選定。

 ・概要

 札幌の歓楽街・すすきのに隣接しているが、水と緑豊かな公園になっている。国指定の重要文化財である豊平館や八窓庵、人形劇の専門劇場である札幌市こども人形劇場こぐま座、音楽の専用ホールである札幌コンサートホールKitara、札幌市天文台などがある。また、春には「さっぽろ園芸市」、「北海道神宮例祭」(札幌まつり)では屋台や見世物小屋の会場になるほか、年の瀬には「歳の市」を開催している。入口近くの「菖蒲池」は、春から秋までボートの貸し出しを行っている。また、冬には通路がクロスカントリースキー(歩くスキー)のコースになり、スキー道具一式を無料で貸し出している。

 ・歴史

 中島公園は豊平川の流れによって生まれた地形が由来になっている。開拓使が札幌に本府を設定した頃、豊平川の流路は本流のほかに多くの分流があった。これらの分流の内、鴨々川が唯一当時の形を今に残しており、それ以外の川はすべて地上から姿を消している。鴨々川と本流に挟まれた地域を字鴨々中島と呼び、本流と対岸の地域を中島(なかのしま、現在の豊平区中の島)と区別していた。開拓使は札幌本府建設のため現在の創成川東地区に工作所を設置し、木材を豊平川の上流から創成川を経由して運び入れていた。開発が進むと鴨々中島にあった小さな池を貯木場にする工事を行って池は四角い堀が2つ並んだ形となり、工事を請け負った鈴木元右衛門に因んで「元右衛門堀」(現在の菖蒲池)と呼んだ。

 1949年(昭和24年)に中島球場が完成し、進駐軍から払い下げの兵舎を利用した日本国内初の公立児童館が開館。1954年(昭和29年)の第9回国民体育大会開催に向けてスポーツ施設を建設した。中島スポーツセンターでは大相撲札幌場所やプロレス、サーカス、コンサートなどの興行も開催していた。1957年(昭和32年)、都市公園法(1956年(昭和31年)公布)に基づく都市基幹公園(総合公園)となる。
 札幌市はそれに伴い同年「札幌市都市公園条例」を制定し、食堂・売店・料亭などの民営施設を法律や条例上適正なものへと時間をかけて修正していった。1958年(昭和33年)に「北海道大博覧会」が開催され、前年に移築した豊平館も郷土館と美術館として活用した。また、博覧会の一施設として設置された子供の国や天文台などの施設は、博覧会終了後も残された。博覧会跡地は百花園として整備した。百花園は1995年(平成7年)に閉鎖されるまで、バラなどの花の名所として親しまれた。1976年(昭和51年)には公立では日本国内初となる人形劇の専門劇場「こぐま座」がオープン。1980年(昭和55年)の中島球場廃止後は芝生広場を整備した。1995年(平成7年)には、札幌市資料館(大通西13丁目)内の施設であった「北海道文学館」が公園内に移転し、北海道立文学館として新たに開館した。1995年(平成7年)から4カ年をかけて中島公園の再整備を行い、藻岩山への景観軸を継承するため芝生広場を広げ、鴨々川の親水性を高めて長岡安平が描いた「池泉回遊式庭園」の魅力向上を図った。1997年(平成9年)には札幌コンサートホールKitaraがオープンし、豊平館や八窓庵とともに札幌市の文化の拠点としての機能を高めた。
 2007年(平成19年)から、札幌雪祭り期間中の2月上旬に「ゆきあかりin中島公園」というイベントが毎年開催されている。このイベントは、小樽市の「雪あかりの路」などの先行イベントも参考にして、年々規模を拡大させている。公園内を雪とキャンドルで装飾し、幻想的な雰囲気の中で様々な催しが開かれている。イベントの企画や会場の設営・運営などは、周辺のホテルなどの企業・施設・学校等の関係者や、地元住民・数多くの市民ボランティアによって行われている。

 ◆北海道大博覧会(第二会場)

 中島公園を会場とした最後の大規模博覧会は、1958年夏に行われた北海道大博覧会である。ただしメインの会場は桑園で、中島公園は第二会場となり、18館の建物が建てられた。小樽の第三会場を合わせて、戦後日本の最大の博覧会と言われた。
 会期は7月5日から8月いっぱいの58日間があてられた。桑園の第一会場が産業見本市的な展示を主としたのに対し、中島会場の方は文化・娯楽の色彩が強く、人気の「子供の国」もあって入場者数は130万人と第一会場をしのぐほどであった。
 会場敷地は公園の南半分があてられた。池の東南畔をアプローチ路として、中間あたりに正門が設けられた。門を入るとメイン通路をはさんで左手に科学館、健康と生活館、アメリカ館、小型自動車展示場、右手に菓子館、電波館、住宅館が並び、南端(画像の上)に国鉄館、自転車館、メートル館などが配置された。

 ◆子供の国

 博覧会ではパビリオンといっしょに「子供の国」が設けられた。当時の案内書を見ると、空中観覧車、宙返りロケット、豆汽車、豆自動車、人工衛星塔、飛行塔、メリーゴーランド、オクトパス、ウォーターシュート、自動木馬などの大型遊具が揃えられていたのが分かる。
 道内ではかって眼にしたことのないものがほとんどだったというから人気のほどは想像に難くない。博覧会が終わった後、これらは常設の遊戯施設としてそのまま同じ場所に残され、札幌市の外郭団体である札幌振興公社に運営が引き継がれた。
 1994年5月8日、子供の国を廃止。1995年4月29日、円山動物園子供の国に再生。その後、2010年9月円山子供の国キッドランドも閉鎖。中島公園で始まった「子供の国」の幕は閉じられた。


 …と、こんな中島公園のようですネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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