2019年 某協議会第2分会の皆様と「札幌方面研修旅行」行きでした(^.-)☆ <7/16>

 

 展望ラウンジ(スタートハウス)からの眺望は仲々キレイでありました。あのドームは、札幌ドームのようですネ(^.-)☆

 ◆札幌ドーム

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 札幌ドーム(さっぽろドーム、英称:Sapporo Dome)は、北海道札幌市豊平区羊ケ丘にあるドーム球場である。施設は札幌市が所有し、札幌市と道内財界各社が出資する第三セクター・株式会社札幌ドームが運営管理を行っている。
 日本で唯一の完全屋内天然芝サッカースタジアムであり、天然芝サッカー場移動方式「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用した。このシステムによりサッカー用天然芝グラウンドと野球用人工芝グラウンドの併用が可能となっている。「第44回BCS賞」・平成14年度(2002年)「赤レンガ建築賞」受賞。

 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)北海道コンサドーレ札幌のホームスタジアム、日本プロ野球(NPB)パシフィック・リーグの北海道日本ハムファイターズの本拠地球場として使用されている。以前はプロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスも札幌ドームを本拠地としていた。また各種イベントにも利用されており、様々な国際大会が開催されている。

 開業時より「Hiroba」の愛称がある。2017年現在、パシフィック・リーグで唯一命名権を導入していない本拠地球場でもある。
 日本では唯一プロ野球チームとプロサッカーチームがそれぞれ公式戦の開催、特定のチームが本拠地として共同使用しているスタジアムである。
 開業15周年を迎えた2016年6月2日にマスコットキャラクター「チャームコロン」が誕生。


 …と、こんな札幌ドームのようであります。今回は、ただドーム部分を眺望するのみでありました(^-^)
 リフトで札幌オリンピックミュージアムまで降りて来ますと、館内へ入ってみます事に。

 ◆札幌オリンピックミュージアム
 オリンピックとパラリンピックの歴史を、選手の用具や貴重な資料で学べる施設です。競技の体験コーナーもおすすめです。


 館内では、「日本最高級のソフトクリーム」の販売が(^_^)v
 この日の大倉山ジャンプ競技場は、多少の肌寒さを感じ求めませんでしたけど、価格はいくらでしたのでしょうねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 リフトで「札幌オリンピックミュージアム」まで降りて来まして、とりあえず館内へ。

 ◆札幌オリンピックミュージアム
 オリンピックとパラリンピックの歴史を、選手の用具や貴重な資料で学べる施設です。競技の体験コーナーもおすすめです。


 館内のロビーで休憩しておりますと、ウィンドゥ越しに韓国のグループの皆様が記念撮影を…
 ふ〜ん、同窓会で訪れられましたのかも…
 大倉山ジャンプ競技場の駐車場を後にしますと、あとは今夜の宿であります東急REIにと向かいます。途中、北海道神宮第一鳥居をくぐりましたけど、大きな鳥居でバス車内より1枚パチリ(^.-)☆

 
◆北海道神宮第一鳥居
 1895年北海道神宮第一鳥居として札幌軟石で建てられたが、1928年に外側に銅板を巻いた高さ8.7mの鉄筋コンクリートに生まれ変わる。隣には10階建てのマンションがあり、その7階部分にまで届く大きさは圧巻。

 ◆札幌 東急REIホテル
 札幌 東急REIホテル(SAPPORO TOKYU REI HOTEL)は、札幌市中央区にあるホテル。札幌の歓楽街・すすきのに位置しており、1980年(昭和55年)に「札幌東急イン」としてオープンした。2015年(平成27年)に東急ホテルズのブランド再編によって名称変更した。
 ・概要
 札幌 東急REIホテルは、東急不動産のグループが開発・管理・運営している都市型商業施設「A-FLAG札幌」(旧称「東急プラザ 札幌」)の中核施設であり、札幌市内最大級の客室を有する宿泊施設になっている。また、商業施設としてレストラン街「レストランプラザ札幌」(旧東急プラザ)を併設しており、飲食店がテナント入居している。


 東急REIには、P.M.5:10頃に到着です。P.M.7:00からの夕食には、まだ随分時間が有りますので、大通公園を散策する事に致しました。まず、札幌テレビ塔へ(^.-)☆
 大通公園西4丁目噴水を過ぎ暫く進みますと、大通公園西3丁目噴水が。
 ここには、山田良定 作「湖風」のブロンズ像が(^_^)v

 ◆山田良定

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10月5日--平成14年(2002年)1月30日)は、日本の彫刻家。日展理事。浄土宗専念寺住職・滋賀大学名誉教授。滋賀県出身。

 ・略歴
 昭和6年(1931年)10月5日、滋賀県神崎郡五個荘町奥(現東近江市)に生まれる。滋賀大学卒業後富永直樹に師事し、昭和50年(1975年)・51年(1976年)日展で連続特選を受賞した。平成2年(1990年)には文部大臣賞、平成11年(1999年)「開幕の刻」で芸術院賞を受賞した。この間県立石山高校教諭や母校滋賀大の教授(退官後名誉教授)を務め、大津市公民館児童美術教室で子供達への指導を行った。平成14年(2002年)1月30日、栗東市の病院で肺炎により死去。


 …と、山田良定sanは、このような方であります(^-^)//"

 

 

 ■大通公園

 大通公園(おおどおりこうえん)は、札幌市中央区にある公園。「日本の道100選」「日本の都市公園100選」「都市景観100選」「日本の歴史公園100選」選定。

 ・概要

 札幌市中心部に位置し、東西約1.5km、面積約7.8haの特殊公園であり、幅105m、6車線の都市計画道路3・1・2「大通」の一部になっているほか、札幌市の「風致地区」「景観計画重点区域」に指定されている。芝生や花壇を整備しており、ライラック、ハルニレ、ケヤキをはじめとした92種、約4,700本の樹木がある。また、各種イベント(『さっぽろ雪まつり』『さっぽろライラックまつり』『YOSAKOIソーラン祭り』『さっぽろ夏まつり』『さっぽろオータムフェスト』『さっぽろホワイトイルミネーション』など)が開催されている。

 2016年(平成28年)に札幌市は大通公園を創成川を越えて東側に約100メートル延伸する方針を発表した。延伸を予定する中央区大通東1丁目の区画内で、市道と北海道電力(北電)本店などがある民有地を交換し、公園用地を取得する。併せて、北電などが今後進める再開発事業を支援し、創成川を挟んで東西両側の一体的な活性化を目指す。

 ・歴史

 1869年(明治2年)、開拓使は判官の島義勇に札幌本府建設を命じ、島は現在の南1条通と江戸時代に大友亀太郎が掘削した大友堀(現在の創成川)が交差する地点をまちづくりの基点(現在の創成橋付近)にした。ところが、本府建設には多額の費用が必要であり、経費の追加を求めた島は開拓長官の東久世通禧によって罷免されてしまい、本府建設も一時中止となる。

 1871年(明治4年)、岩村通俊が開拓判官になると島の構想をもとに街の東西に幅60間(実際は58間、105m)の火防線を設けてそれより北を官地、南を民地として格子状の区画整理を行っていった。

 1872年(明治5年)に北海道内の国郡名を札幌本府の道路に付けて火防線は後志通、現在の北1条通は浜益通、現在の南1条通は渡島通となったが、煩雑であったため1881年(明治14年)に現在の条・丁目に変更されて後志通は大通となった。

 1876年(明治9年)頃に現在の西3・4丁目に札幌官園で育てた花卉を植えた大通花草園を設置しており、大通の多目的利用が始まっている。また、西10丁目に屯田兵第一大隊本部を設け、以西を練兵場とした。なお、西9丁目辺りは森として残され、遠くから見ると高く盛り上がった部分と低くなっている部分がクジラのように見えたことから鯨森(鯨ヶ森、鯨の森)と呼ばれるようになった。

 1878年(明治11年)には『第1回農業仮博覧会』を開催、以後隔年で開いていたが手狭になっていったため1887年(明治20年)に会場を中島遊園地(現在の中島公園)へ移した。

 1880年(明治13年)に現在の札幌市民ホールやNHK札幌放送局のある一角に西洋館の豊平館を建設し、皇族や貴族、政府高官の宿泊施設や各種集会や宴会の場として利用した。当時、西4丁目以西は荒地になっていたが、1888年(明治21年)に近辺学校の連合運動会を行ったことをきっかけに運動場として利用するようになった。1899年(明治32年)には偕楽園にあった開拓記念碑を大通西6丁目に移設し、小公園にしている。

 1907年(明治40年)、札幌興農園の小川二郎が札幌農学校(現在の北海道大学)で得た知識と技術を活かし、西2丁目から西4丁目にかけてを自費で花壇を造成した。1908年(明治41年)、鯨森や練兵場跡地を含む西9・10丁目を逍遥地(散策する場所)として整備した。

 1909年(明治42年)に造園技師の長岡安平を招き3ヵ年計画で本格的な公園整備を行い、西3丁目から西7丁目までが逍遥地となった。1915年(大正4年)から札幌洋翠園の戸部佶が自費で花壇づくりを行い、1918年(大正7年)に札幌区が引き継いだ。1923年(大正12年)には宮部金吾達の指導により練兵場跡地の西10丁目から12丁目にかけても植栽と芝生を整備した。

 1926年(大正15年)には西13丁目に札幌控訴院(現在の札幌市資料館)の建物が完成している。戦時中の大通は空襲に備えた避難広場として重視され、1944年(昭和19年)になると食糧不足から10,000坪が畑に転用され、ゴミ捨て場や雪捨て場となって荒廃した。
 戦後は進駐軍に接収されて西3丁目に教会、西4丁目に野球場、西5丁目にテニスコートが造られ、市民の手によって西6丁目にバレーボールコート、西7丁目に野球場、西8丁目に児童遊戯場を設けて運動場と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 大通公園をノンビリ歩いておりましたが「さっぽろテレビ塔」に到着です(^.-)☆
 早速、搭乗してみたいと思います。入場料金は、720円のようですネ。

 ◆さっぽろテレビ塔

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 さっぽろテレビ塔は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。札幌市の中央にあり、総工費1億7,000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲。

 ・歴史

 1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。
 しかし1956年(昭和31年)に北海道放送(HBC) が手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'・NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合・Eテレ・FM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。

 1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。
 鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。

 2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。
 完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、南面に存在する灰色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。
 今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。

 ・構造

 地下1階はさっぽろ地下街オーロラタウンと接続しており、「テレ地下グルメコート」と称する飲食店街になっている。地上1階は案内所やチケット売場などがあり2階は多目的ホールと管理事務所、3階には土産店とレストランが入居している。
 地上90メートルの位置に展望台がある。3階までは無料(ただし3階の「テレビ父さんのほほんパーク」へは展望台チケット所持者のみ入場可能)だが展望台は有料で、3階よりエレベーターを利用する。展望台から西に大通公園を見おろし遠く円山や大倉山まで見通す眺めは季節ごとにさまざまな顔を見せ、札幌の代表的な景色となった。また、さっぽろ雪まつりなど公園で行われる催事ごとに様々な媒体にも登場する。なお展望台フロアのみ、フリーWi-Fiのアクセスポイントが設置されており無料で使用できる。
 NHKのカメラは展望台部分に設置されている。

 ・新テレビ塔構想の中止

 2007年に50周年を迎えたさっぽろテレビ塔は老朽化が著しいことから最近では高さ650mの新しい塔への建て替えの構想が持ち上がっていたが、運営する北海道観光事業の売り上げ不振に加え同社社員による着服事件が続発したことなどにより資金調達の目処が立たず、2009年8月7日には正式に中止が発表された。


 …と、こんな歴史のあります「さっぽろテレビ塔」のようです(^-^)//"

 

 

 

 

 

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