2019年 晩秋の北房路(真庭市)古墳巡り <1/9>

 

 ■2019年12月01日17:50
 11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆


 11/17(日)は、「備陽史探訪の会」の皆様と、晩秋の北房路「古墳巡り」でありました。
 A.M.7:00過ぎに空模様を確認しますと、澄み切った青空で、西の空にはお月様が…
 A.M.8:00に福山駅北口観光バス乗り場に集合で乗車。車内では、今回の古墳巡りの資料を頂き事前学習です(^-^)
 頂きました資料には、平成6年11月13日(日)の記載がありましたので、当時の資料を今回も使用しておられますのかも…
 定刻に、バスは北房(現在は真庭市のようです)に向かって出発です。

 岡山自動車道の高梁SA(下り)の手前辺りでしたか…濃霧の景観がキレイで、急いでカメラを取り出しパチリとなりましたが、少しタイミングが遅れまして、う〜ん、残念(^-^;
 雰囲気が掴めます程度の画像は撮れましたが(^-^)//"

 

 

 

 高梁SAでまず最初のトイレ休憩です。そして、北房ICで国道313号線に降り南下。
 国道313号線沿いの「山陽マルナカ北房店」で二回目のトイレ休憩。弁当をご持参でない方は、ここで昼食用の弁当の購入となりました。
 山陽マルナカ北房店からは東方に左折し山側の市道を走行しますと、ほどなく「荒木山西塚・東塚古墳」入口にと到着となりました(^.-)☆

 
◆荒木山西塚古墳

 ・形 -- 前方後円墳市指定史跡竪穴式石室 ・所在地 -- 真庭市上水田

 全長約63mの前方後円墳。
 後円部径36m、高さ6m、中央やや南寄りの位置に長さ約4.5m、幅約0.9mの竪穴式石室がある。未調査のため詳細は不明。市指定史跡(荒木山西塚・東塚古墳)、1959(昭和34)年指定。

 ◆荒木山東塚古墳

 ・形 -- 前方後方墳 ・所在地 -- 真庭市上水田

 全長約45mの前方後方墳。
 後方部高さ2.3m、前方部幅16m、高さ0.8m、未発掘のため詳細は不明だが、前方部の形態などから古墳時代前期の築造と推定されている。市指定史跡(荒木山西塚・東塚古墳)、1959(昭和34)年指定。
 前方部は鎌倉〜室町時代の山城により変形、後方部墳頂には祠が祀られている。

 
WEB上で「荒木山古墳」を検索しますと、ほかにもこんな記載が…

 ◆荒木山東塚古墳

 東塚古墳は全国に同じような名の古墳がいくつもあり、地名をつけて荒木山東塚古墳と呼ばれ岡山県真庭市上水田荒木城御崎の丘陵頂にあります。
 現地へ訪れてはいませんので、現在の状況などの点で資料が中心に説明を加えました。
 資料の読み方や、発行時期などからすでに破壊されている場合もありますので、もし破壊されている場合は過去にこのような古墳があったと理解してください。

 墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で、前方後円墳の主墳部分である円墳部分を方墳形式にした前方後方墳と呼ばれるものです。
 また先端に向かって曲線的に広がりを示す特徴的な前方部を持っており、もし後方部が円形なら箸墓古墳型の古墳とされるものです。
 墳丘の規模は、段築なしに造られた後方部の辺20×15m、高さ2.3mで、前方部の最大幅は16m、高さ2.3mを測り、墳丘全長は43mとなっています。
 基本的には土が盛られて造られたものなので、1500年あまりの年月の風雪に耐えながらも自然崩壊などもありますから、これらの規模の計測数値は必ずしも確定的なものではありません。明確な形での造り出し部は設置は行われていません。
 葺石は施されていなかったものみられています。埴輪の出土がなく、埴輪の配列はなかったものとされています。発掘調査が1978年に行われています。荒木山古墳群を構成しています。
 古代において、この美作は出雲文化圏との接点で若干異にする部分もありますが、吉備地域の一翼をにない、畿内文化圏に飲み込まれる古墳時代後期にいたるまで、畿内の文化圏に対抗しうる一大文化圏を営んでおりました。
 この古墳の築造は古墳時代の前期と推定されています。
 ちなみに平成の自治体大合併で合併しており、2005年03月以前は上房郡北房町になっていました。

 

 

 

 

 

 上り口から細い道を上がって行きますと、「荒木城御崎古墳」の案内板と、「真庭市指定文化財史跡 荒木山東塚 西塚古墳」の案内標識が…
 それには、このように記載されてありました。

 
◆荒木城御崎古墳

 東塚は前方部を南西に向ける、全長45mの前方後方墳です。前方部の幅は約16m、後方部はやや長方形で、墳頂は平坦で小さな祠があります。
 前方部の形態から3世紀の終わりから4世紀の古墳で、町内では最も古い首長墳です。
 西塚は前方部を東西に向ける全長約63mの前方後円墳です。前方部は後円部より3m低く頂部はほぼ平坦で、細長く前端があまり開かないものと考えられます。後円部は径39mのほぼ正円で高さは6mあります。墳頂には径約16mの平坦部があり、小さな祠があります。また、墳頂には中心から少し南に寄った位置に、墳丘主軸と並行して、全長4.5m、幅0.9mの竪穴式石室があります。
 長大な竪穴式石室があることから、4世紀代の古墳である可能性が強く東塚に続く首長墳と思われます。


 …と、こんな記載が(^.-)☆
 スグに荒木城御崎古墳に到着で、左に進めば「東塚」、右に進めば「西塚」ですけど、先に「東塚」に向かいます(^-^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →