2018/05/05(土) 浅口市「鴨山城跡」散策(^.-)☆ <7/7>

 

 

 

 

 

 長川寺とお別れし鴨神社方向に進みますと、この途中に存在しますのが西山家一族のお墓が…この墓地には「西山拙斎」のお墓も…
 …と言いましても、GONsanは「西山拙斎」sanが何者なのか存知あげないのですけど(^-^;

 で、WEB上で検索致しますと、こんな記載がありました。

 ◆西山拙斎

 西山拙斎<にしやま せっさい、享保20年8月17日(1735年10月3日)-寛政11年11月5日(1799年12月1日)>は江戸時代の儒学者。浦上玉堂と同じ備中国鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の文人。父は医師の恕玄。拙斎という名の小惑星が存在する。

 ・経歴

 16歳のときに大阪に遊学に行き、医術は古林見宣に、儒学は岡白駒に学んだ。岡白駒没後、儒学は白駒の外孫の那波魯堂から学ぶようになり、那波魯堂の上京にも従った。後に那波魯堂は古文辞学から朱子学に転じ、拙斎もまた朱子学に転じた。
 昌平坂学問所の儒官であった柴野栗山に朱子学を官学とするよう説得した。これが老中・松平定信による寛政異学の禁の遠因となったといわれる。39歳のとき、鴨方に欽塾を開き子弟に朱子学を教えた。
 生涯仕官せず、諸侯の招聘を辞した。里謡に「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎、索我、宮の石橋。」と謡われ、名声は大坂にも知れ渡った。


 …と、こんな立派な方のようであります(^.-)☆

 「西山拙斎」先生のお墓を拝観後には鴨神社へ。
 そして、今回の散策のスタート地点であります「かもがた町家公園」へと下りて行く事となりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の散策のスタート地点であります「かもがた町家公園」へと戻って来まして、またこの公園内を少し散策。
 この公園内の施設としましては、

 ・伝承館
 江戸前期の町家を細部にわたり修復し、当時の建築技術を見学できる建物博物館です。発見された棟札から、貞亨4年(1687)に修理をした県下で最も古い貴重な町家です。
 正面十間、側面四間、中二階建の店部分と平家建ての座敷部分からなり、正面の全体的な構成、大戸口、格子構は、大変美しく格調高い外観に仕上がっています。(旧高戸家住宅ー県指定重要文化財)

 ・交流館
 伝承館の東に並ぶこの町家は、棟札から延享5年(1748)に建てられたもので、分家の母屋です。伝承館と同様当時の部屋割りにあわせて修理を行い、かまども復元しています。
 この館では、各種グループの研修や歴史学習、伝統行事を行ったり、来訪者のための情報コーナーや和風喫茶、特産品や土産物の展示・販売コーナーがあります。二階は、郷土史料の展示室となっています。

 ・ふれあいの館(西倉)
 伝承館の北側にある土蔵。棟札から、安政3年(1856)に建てられたもので、近隣にはない立派な土蔵です。当時の重要な生活用具や什器などを収蔵していた建物です。
 二階建てとなっており、絵画、書道、工芸、陶芸、写真、生け花等の作品展示やミニコンサート、創作活動等に利用できます。

 ・郷土の館(東倉)
 交流館の北側にある土蔵。建築年代は不明。一階は、歴史や文化・観光等をパネルやビデオで分かりやすく紹介しています。二階は、公園の管理事務所となっています。


 …と、こんな施設がありますけど、その中の一つの「ふれあいの館(西倉)」に入ってみます事に。
 建設されました安政3年(1856)当時の重要な生活用具や什器が収蔵されておりましたけど、中では外人san(オーストラリアの方)お二人が、熱心にメモされながら説明を聴いておられました。
 GWのこの時期に、何でまた「かもがた町家公園」を訪れておられるのだろう?…と、不思議な気持ちも少々湧いてしまいます。
 結構、日本語を話されますから、何かの研究で訪れておられますのかも…

 とにかくGONsanはこの辺で退散です。
 駐車場に戻り周辺を見廻しますと、こんなお宅が…蔦のような植物でびっしりと覆われた建物…たまに見掛ける事がありますネ(^.-)☆
 一見、感じ良く見えるのですけど、ヨーロッパのような石造りの建物では良いのでしょうけど、木造の建物ではどぅなんでしょうねぇ〜建物が傷むのでは…と危惧してしまいます。
 でも、こんな感じで植物で覆うには、どんな方法で行えば良いのでしょうねぇ〜コツがありますのかも(^_^)v

 それでは、「かもがた町家公園」とお別れです(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

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