2018/05/05(土) 浅口市「鴨山城跡」散策(^.-)☆ <3/7>

 

 

 

 

 周辺を見廻しておりますと、「切岸(きりぎし)」の表示板が…

 ◆切岸

 切岸(きりぎし)とは、斜面を削って人工的に断崖とした構造で、斜面を通しての敵の侵入を防ぐために作られた。鎌倉時代から戦国時代にかけて造られた城、特に山城の周囲に多く、また鎌倉の周囲の丘陵斜面にも作られた。
 角度が(目標とする切岸よりも)ゆるい斜面を削って切岸にした場合、削った土は上の郭に上げることもあるが、多くの場合は下に捨てられる。切岸の高さが上部の郭から一定になるように削ると、必然的に腰曲輪ができる。削った土は、腰曲輪の拡幅に用いられることも多い。


 …と、こんな「切岸」でありますようです(^-^)/

 

 

 

 「切岸」の上に進みますと、今度は「最高所曲輪 標高166m」の表示板が…
 ここに曲輪が存在しました時代に周辺の景観を見廻しますと、さぞ素晴らしい眺望が楽しめました事でしょうネ…今では樹木が生い茂りまして眺望出来ますのは一ヶ所のみ。

 崖に出っ張りました岩の上に上がってみましたけど、少し怖さが(^-^;
 西方と言うか正面方向に眼を向けますと扶桑薬品工業の建物が(^.-)☆ そして、その右方向には山陽自動車道。時間を確認しますと、A.M.11:42でありました。
 GWを利用し帰省されました方々が、明後日からの勤務再開に備えて早くもUターン。
 鴨方IC少し手前の山陽道上り線、もう渋滞が始まっておりました。帰省しますのも大変ですねぇ〜

 最高所曲輪からの眺望を暫し楽しみました後は、また「南曲輪」に向かって散策続行です。
 そうしますと、「堀切」「北の曲輪→」「←南の曲輪」の表示板が…

 ◆堀切
 主に山城に用いられる防御のための土木建築物。英語ではNeck ditchと呼ぶ。城や城塞群において、外敵の侵入防止や遅延のために曲輪や集落の周囲や繋ぎの部分を、人工的に開削して溝(堀)するもの。空堀の一種。


 ここは、南曲輪登山コースと合流し、右に進めば「北曲輪」、左に進めば「南曲輪」。
 南曲輪は廃城後、88ヶ所霊場となり札所には磨崖仏が多く残されているようであります(^_^)v
 この合流地点でも、大きな岩に磨崖仏が刻まれておりました。
 それでは、今度は「南曲輪」を散策致します(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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