2018/09/16(日) 第25回ゲタリンピック <1/3>

 

 ■2018年09月17日09:15
 昨日は、町内一斉清掃日でありました(^.-)☆


 昨日・9/16(日)は、降雨で一週間延期となっておりました町内一斉清掃日でありました。
 で、いつものようにA.M.6:15に起床し、畑から西方の熊ヶ峰山系に眼を向けますと山の中腹に帯状のモヤが(^-^)
 何となく幻想的な景観に急いでスマホを持ち出し、数枚パチリ(^.-)☆
 朝から何となく蒸し暑さを感じます。町内清掃は実施出来そうですけど、暑くなりそうですねぇ〜前日の天気予報では、県内の気温は30℃を越えるような事を言ってむおられましたから(^-^)//"

 

 

 清掃開始は、A.M.8:00ですから、急いで朝食を終え集会所に向かいますと、何となくいつもより参加者が少ないようにも感じます。
 連休ですから、行楽にご家族で出掛けられています方々もおられるのかも分かりません(^-^)
 とにかく定刻に、清掃開始となりました。

 GONsanの班は、水呑川土手両側の草取りです。が、今回は事前に福山市で草刈り作業が行われていましたから、楽と言えば楽。
 刈り残された部分を町内で実施。
 集会所横の豊年橋以北をGONsan達の班が担当し、以南は別の班の皆様が担当。
 南北いずれも事前に市が実施済みですから、今回は僅かな時間で終了です。

 が、水呑川の川底を担当しておられます方々は通常通り時間を要しておられますので、私達はこの間に、豊年橋から芦田川土手方向に市道両側の草取りとなりました。
 それも幹線道路までの区間ですから、程なく終了。
 …と言う訳で、今回ばかりは随分楽な町内清掃となりました。
 ただ、この日は早朝から随分暑くて、僅かな作業でも随分な汗。ここ数日、朝夕は冷たさも感じておりましたけど、この連休は大変暑い気温でありました。

 清掃終了後には集会所前に集合し、自治会長様よりのお願い事が少々。
 今後の大きなイベントと言いますと、水呑八幡神社の秋祭りです。この準備がありますから、その徹底でありました。
 今回は、3年毎の当番班に当たっておりますから、9/30(日)、そして10/6(土)はGONsanも準備に参加です(^-^)//"

 

 

 

 町内清掃が終わり我が家に戻って来ますと、あまり気乗りはしませんでしたけど、少しだけ見物しようと松永の「第25回・ゲタリンピック」行きとなりました(^.-)☆
 国道2号線沿いの銀行sanの駐車場に無断駐車しテクテク歩いてJR松永駅へ(^-^)
 駅構内を抜け南口におりますと、時間はA.M.10:15でありました。

 A.M.9:30からのオープニングセレモニーはとっくに終わり、南口広場では愛津咲(あづさ)sanが熱唱中でありました。で、早速、数枚パチリ(^_^)v
 ですけど、パッと見廻した感じでは、今回はゲタリンピックに訪れておられます観客が決して多くはありません。
 せっかくの熱唱なのに観客が多くありませんから、お気の毒な気持ちが湧いてしまいます。
 福山市で活動する歌手、愛津咲(あづさ)さんのプロフィールは、WEB上で検索しましたら出て来ますでしょうから、紹介は省略です(^-^)

 駅南口ロータリーには、塩田の町「松永」ですから、こんなモニュメントも存在です。
 それにしましても「本莊重政公」とは、どんな方なのでしょうねぇ〜
 これは、WEB上で検索です(^.-)☆
 WEB上には、こんな記載がありました(^_^)v

 ◆本莊神社 広島県福山市松永町5-41-17

 ・本莊重政命

 宝暦九年(1759)松永村庄屋、村上久兵衛、岡本喜与八、村民と相謀り、本莊重政公を松永村開祖と敬い、承天寺境内にその霊を祀って社殿を創建。本莊社と称して毎年四月十五日を以て祭礼を行って来た。
 本庄(本莊)重政公は福山藩主水野氏に仕えた本庄重昭の嫡子として生まれたが家督を弟重幸に譲り、江戸に出て兵法を修業し島原の乱の際には戦功をたてた。
 岡山藩主池田光政に仕えた後、福山藩に帰った彼は万治三年(1660)春より松永湾岸に堤防を築き、塩田を開き、街並みを整備して、数年で町を繁栄させたという。延宝四(1676)二月十五日没(享年七十歳)。
 墓は自らが建立した承天寺の墓地にあり、広島県の史跡となっている。なお、天保二年(1831)本莊重政公の故居である現在地に遷座。明治二十五年には幣殿・拝殿を再建した。

 --- 参考:「広島縣神社誌」---


 …と、こんな記載が。
 ふ〜ん、また機会がありましたら、承天寺・本莊神社に参拝してみたいと思います(^-^)//"

 

 ■本荘神社 --- 福山市松永 ---

 松永の開祖本荘重政を祭神として、宝暦九年(1759)に松永村の村民らが承天寺境内に社殿を建立し創祀。その後、天保二年(1831)に現在地の重政の邸宅跡地に遷座したと云われます。
 本荘重政は水野勝成の家臣、当時の最新製塩技術であった「入浜式塩田」を松永の地に導入し48浜に及ぶ塩田を完成。重政はこの地を「松寿永年」にちなみ「松永」と命名しました。
 塩田は昭和35年に全廃されるまで300年間続きました。

 

 

 

 

 

 

 愛津咲(あづさ)sanの熱唱が終わりますと、次は競技の部「ゲタでゴザール」が始まりますようです(^.-)☆

 ◆ゲタでゴザール

 松永の特産品のゲタ、塩、い草を使った難関競技。5人協力して突破する障害物競走!
 ・小学生の部(10:30〜11:15) ・一般の部(11:15〜12:30)


 …と、こんな競技のようであります。
 ゲタリンピックにヤッて来ますと、毎回、最初の競技として行われますから、うん、うん、毎回拝見しておりますネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →