2017年 水呑学区ふれあい文化祭 <4/5>

 八幡神社を後にし、次に向かいましたのが葛城神社であります(^.-)☆
 葛城神社は、八幡神社から少し六法学園方向に上りました所に存在です。

 ◆葛城神社

 備南の秀峰熊ヶ峰(峯)葛城山(標高689m)は内海を鳥瞰し、其の風光明媚に於いて絶勝の地であり、今を去る840年の昔、平重盛の霊験によってこの山を開き、山嶺に一宇を建立して霊峰となった。熊ヶ峰鹿津良岐大権現の由来云々。
 鹿津良岐大権現を鎮守している葛城神社は、中古、法華勧請となり、葛城尊天と改称され今日に及びたり。
 葛城尊天の霊徳は世々番々神妙不可思議こと著しく、救世の妙用を讃迎し、威光を敬慕するも甚だ多く、世人呼んで崇高となす。遠きもの、近きもの人々は集い参詣し、法鼓絶えるひまなく、実に闇黒を照らす巨灯となる。
 
 ・小松内大臣 平重盛公が宮島の厳島神社に参詣の途中、鞆の浦に上陸し、水呑の上空に閃光出現し、熊ヶ峰のあたりで消えたのを見て熊ヶ峰に登った。
 ・熊ヶ峰に登る途中で息絶え絶えの時、白髪の翁が現れ、巌を撃ったら冷泉が湧き出た。
 ・平重盛公がその冷水を飲んだらたちまち元気になった。
 ・その冷泉を「蘇命水」と名付け、その地を水呑と称す。(葛城山縁起より)

 ★祭典 -- 冬至祭 12月第3日曜日 南瓜汁で無病息災を祈る
      西・中村の町内会が交互に当たる。

 葛城神社は、創建当時は葛城山の頂上付近にありましたが、天保年間(1830)に山麓移転し、明治44年(1911)に再び山頂に新築移転した。山頂のため参詣が容易ではなく、昭和35年(1960)に現在の場所に西・中村町内の信者が中心となり移築されました。
 山頂時代から現在地に移転されてからも、葛城神社をお祀りしておられました谷口住職は、老後を故郷の矢掛町横谷にお帰りになり、妙泉寺の住職となられ、葛城大尊天を祀られておられます。


 こんな経緯のあります葛城神社のお詣りを終えますと、また六法学園方向に少し上りますと、ほどなく右側斜面に「山神」様が…
 市道から少しばかり斜面の奥に存在ですから、大概の方々が、この「山神」様に気付きませんし、存在すら知りません方々も多いものと思います。

 ◆山神(やまのかみ)

 葛城神社と新池との中間のあたりの右手20mの林間にあり、無名の石碑(高さ60cm)で、元文元年(1736)夢枕に鬼形現れ、重顕寺日明が祈祷してこれを収めたと言い伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 山神様に手を合わせましてからは、また逆戻りです。

 葛城神社の前には池が存在しまして、この池を「新池」と言います。
 通り過ぎます時に、何気なく眼を向けますと鯉が一匹…さほどキレイな池でもないのですけど、水は澄み切ってキレイではありました。

 八幡神社参道へと戻り、下り道の手前の民家の軒先に小さな祠が…
 別にこのお宅が個人的に祀っておられる訳ではなくて、昔から存在しますとの事。
 八幡神社には子供の頃に、お祭り等でよく来ましたけど、こんな場所に小さな祠が存在します事には全く気付きませんで、今回初めて知りました(^-^)

 この史跡巡りで説明・開設して頂きます水呑学区歴史民俗資料保存会の方は、この祠は「へのこ」と言っておられましたネ。
 「へのこ」とは何なんだろぅ?…と、後でWEB上で検索してみましたら、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆へのこ

 陰茎、睾丸を意味する古語

 …との事でありました(^-^)
 狭い場所に屈み込んで写真に納めておられます方が、「どなたか毎日お詣りしておられる形跡が…」と言っておられましたから、この祠をお世話しておられます方がおられますのでしょうねぇ〜

 八幡神社参道を少し下りまして、いよいよ今回の史跡巡りでの最後の訪問地「武宮神社」へと到着です。


 ◆武宮神社

 西部落にあり、また「武宮」「滝の宮」とも書く。この土地を「上の森」と云う。
 創立不明、氏子は昔、水呑一村全部であったが、八幡神社が出来、また各部落に宮を建ててから次第に減少し、今は西・中村・土井辺りにあるのみ。
 今は祭神を大己貴神(おおなむちのかみ)とす。大国主神の別名で神説では此の神は天下を作り、世に勝れた神、即ち大名持より那牟遅となり、更に転じて大己貴神となったと云われている。
 上の森に対して下の森があり、そこには鍛冶屋部落の松尾神社があります。

 ◆山王社

 武宮神社の左に鎮座し、山神をお祀りしております。西自治会の管理。山神と葛城神社の鎮座する一体の山は、山王社の所有地です。


 …と、こんな「武宮神社」と「山王社」でありますようです(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 武宮神社の訪問で、今回の史跡巡りは全て終了です。後は、スタート地点でありまい井上記念館に戻るのみ。
 井上記念館に戻ってきますと、全員集合し解散式。お世話頂きました水呑学区歴史民俗資料保存会の皆様は、大変お疲れ様でございました。
 また来年も、宜しくお願い申し上げるのでございますm(_ _)m

 井上記念館から水呑小学校校庭に下りて来ますと、ステージが賑やかに盛り上がっておりました(^.-)☆
 早速、ステージに向かいますと、うん、うん、女性歌手が熱唱中(^_^)v
 この方のお顔は、何となく見覚えが…確か「愛津咲(あづさ)」sanと言われましたでしょうか…
 何で見覚えが?…と記憶を辿ってみましたら、そぅでした、夏の「水呑夏祭り盆踊り大会」でも歌謡ショーのステージを盛り上げておられましたような(^-^)
 でも、GONsanは、この方を存知あげません。

 で、早速、いつものようにWEB上でお勉強となりました(^-^)
 そぅしましたら、結構、「愛津咲(あづさ)」sanのお名前は出て来ましたネ(^_^)v

 ◆福山市で活動する歌手、愛津咲(あづさ)さんが「鞆の浦恋物語」をリリース

 〜鞆の浦にまつわるバラード曲〜

 --- 鞆・福山活性化ブログ http://sun-malt.com/12870 ---

 こんにちは!チェック社長こと、サンモルトの小川真平です(*^^)v
 福山市で活動する歌手、愛津咲(あづさ)さんが5月20日に「鞆の浦恋物語」という鞆にまつまる曲をリリースされました!
 鞆の浦の曲なので…ということで、まずは鞆の方に知ってもらおうとの一環で、当社サンモルトにも寄っていただきました。

 愛津咲さんは2003年に出身地の兵庫県姫路市から福山市に移住。福祉施設で働いていた時、高齢者の方々に歌を披露し、感謝された体験からピアノを始め、2013年からは県内外オリジナルソングや様々な楽曲の弾き語りやライブ、イベント出演を重ねられてます。
 今年に入り「100万本のばらのまち」と「ローズマインド」を全国に広めるための曲「ばらに願いを込めて」というオリジナルソングをリリースされ、ローラちゃん応援隊のばらキッズ(ダンスグループ)とも共演。
 ピアノの弾き語り、ライブ活動の他にも、ロゼッタ・マンドリーノ楽団など様々なバンド、団体とコラボ。オリジナルソングの他にも、昭和歌謡曲、フォークソング、演歌、日本唱歌、童謡、洋楽、ジャズなどのレパートリーがあり、イベントではリクエストに応じて披露されております。
 今回リリースされた「鞆の浦恋物語」は鞆の浦をモチーフしたバラード曲。歌詞の中にも「常夜灯」「ささやき橋」「潮待ちの港」など鞆にまつわる言葉がでてきますよ〜
 リリースされたCDは久松レコードで購入することができます。要チェックです!

 ◆愛津咲 あづさ Facebook

 --- https://www.facebook.com/azusa.azusa.azusa ---

 ・自己紹介
 各団体とコラボステージやソロで活動。福山市をPRする[ばらに願いを込めて][鞆の浦恋物語]リリース。全国各地『よさこい』楽曲にボーカルでレコーディングに参加。アクターズスクール福山校ボーカルトレーナー。


 …と、こんな方で、ふ〜ん、福山では結構有名人のようですネ\(^o^)/
 と言う訳で、暫し、ステージを楽しむ事となりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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