平成26年04月〜平成26年09月間の話題・景観を集めてみました(^.-)☆ <7/10>

 

 

 

 

 

 

 

 「福山港フェリーターミナル」の看板を眼にしておりますと、やはり懐かしさがこみ上げてしまいます。
 ここから福山〜四国・多度津を結びますフェリーが出ていましたのですけど…
 
 ノンビリとした四国までの90分の船旅が、瀬戸内の多島美も楽しめますし実に良かったのですけど、今となりましては遠い昔の事となってしまいましたねぇ(^-^)//"

 

 ■2014年05月16日
 
友人から届きました画像なんですけど、お気の毒ですネ(^-^;

 ここ最近は、友人から届きます画像にドラレコ映像が大変多くなりました(^.-)☆
 挿入の画像は、本日、友人から届きましたものなんです。
 
 前方の信号が赤なので、信号待ちのためユックリとスピードダウンしていますと、左側から4tトラックが右折のため交差点内に進入。と同時に、そのまま分離帯に激突です。
 よそ見しておられましたのか…携帯操作中なのか…それとも、スピードの出し過ぎでハンドル操作を誤ったのか…
 原因が何なのか分かりませんけど、当の友人も、まさか分離帯に激突するとは夢にも思いませんから、注意して見ていなかったので詳しい事は分からない様子。
 
 ただ、いきなり激しい衝突音がしたのでビックリしましたとか(^-^)
 
 その内、信号が青に変わりスグ側を通り過ぎます際に運転手の方に眼を向けますと苦笑しておられましたとか…
 とにかく、予期しないハプニングで実にお気の毒。
 GONsanはこのドラレコ映像を繰り返し4度拝見しておりましたけど、さすがに、笑ってはイケないと思いながらも4回目に観ました時には笑ってしまいましたよ(^.-)☆
 
 つぃウッカリなんでしょうけど、う〜ん、何とも…
 撮影日時は、2014/05/16 14:59:17。
 明日は我が身か…の想いもあるのですけど、お気の毒ですが、やっぱり笑ってしまいますねぇ(^-^)//"

 ■2014年05月28日
 
おっ、またまた従姉の作が中国新聞「中国歌壇」に掲載です(^.-)☆

 大概、就寝前に朝刊を隅から隅まで眼を通しますGONsanなんですけど、時には途中で深い眠りに陥ってしまいます。
 昨日・5/26もまたそぅでありました(^-^;
 
 一面からズッと眼を通していましたけど、スポーツ面まで来ましてから眠ってしまいましたようです。
 翌朝、途中で眠った事に気付きましたけど、タマにはこんな日もありますねぇ〜
 
 で、起床と同時にパラパラッと残りの紙面に、別段読む訳でもありませんでめくっているだけなのですけど、ハッと眼が止まりましたのが「中国歌壇」。
 うん、うん、危うく見落とすところでありました(^-^)
 危ない、あぶない(^.-)☆
 
 『枯れ草を 分けて顔出す蕗の薹 夕べの卓を春色に染め』
 また、従姉の作が掲載されておりました。本当に見落とすところでしたネ(^-^;
 
 来月7日には、法要の席で顔を合わせますから、また話題に出さなくては…
 仲々キレイな作品ですねぇ〜情景が眼に浮かんで来るようですよ…と言うような事でも、さりげなく口にしなくてはなりませんかも(^-^)//"

 

 ■2014年05月14日
 
うん、うん、この土・日曜日は「福山ばら祭」でしたネ(^.-)☆

 今日の朝刊の折り込みチラシの中に入っていましたのが、この「福山ばら祭2014」のご案内。
 そぅでした…この土・日曜日は福山ばら祭りでありました(^.-)☆
 
 昨年は、小雨の降ります中を冷たさで震えながらローズパレードを観ておりましたGONsanです(^.-)☆
 パレード開始と共に降雨は止みましたけど、5月も中旬だと言いますのに昨年のばら祭りは気温は少々低いものでありました(^-^)
 
 さて、今年の空模様がどぅなのか分かりませんけど、何となく今年は暑そうですねぇ〜
 ここ数日の気温から勘案しますと(^_^)v
 
 土曜日は仕事ですから、何にも予定がありませんと、昨年同様に日曜日に「福山ばら祭」を楽しめそうです。
 このチラシに描かれましたワンchan達…仲々可愛いぃですねぇ〜
 どなたが描かれましたのでしょうねぇ〜
 
 ほんわりとした温かさが伝わって来るようです(^-^)//"

  

 ■2014年06月08日
 
5/12〜5/18間の我が家前の工事進捗の景観です(^-^)//"

 これは、5/12〜5/18間の我が家前の工事進捗の景観です(^.-)☆
 右側のお宅は暫くこんな状態で外から拝見します景観には変動がありませんでしたが、左側のお宅は5/13に大きく様変わり。
 
 挿入画像の二段目真ん中 --- 5/13撮影
 挿入画像の二段目右端 ----- 5/14撮影
 
 右側のお宅もそぅでしたけど、一気に建物外観が出来上がり。この工程は拝見しておりますと大変楽しいのでしょうけど、残念ながら平日に施工。
 拝見する事は出来ませんで残念…と言ったところでしょうか(^-^)
 建設業者sanの工場で部材を準備し現場では組み立てだけですから、速くて当然なのでしょうけど…
 
 また暫くこの光景が著変なく続くのでしょうネ…
 確か右側のお宅が6月末…左側のお宅が7月末…竣工が楽しみではありますネ(^-^)//"

 

 

 ■2014年06月01日
 
今夜は、鞆の浦「弁天島花火大会」でありました(^.-)☆

 今夜は、夏の訪れを告げます福山市鞆の浦「弁天島花火大会」の開催です。
 勤務を終え我が家に戻って来ましたのは、P.M.3:30。
 
 GONsanも花火見物に出かけます予定にしておりましたけど、まだ充分時間がありましたから、1時間ばかり畑の草取りを…
 で、ゴンchanを畑に放しまして草取り開始となりました。
 が、1時間の予定が一段落付きまして一服しながら時計に眼を向けますと、「えっ、もぅ7時前(^-^;」
 
 大慌てで後片付けを行い、カメラを手にしますとP.M.7:15。
 こんな時間では、もぅ鞆まで行けません。
 で、急遽、予定変更で箕沖町の岸壁に出かけますと、う〜ん、ビックリ(^-^;
 
 ご覧の画像の通り、岸壁側には割り込む余地もありません(^-^)車がギッシリ。
 ですが、反対側のチョッとしたスペースを見つけ割り込み駐車。
 そして、急いで岸壁上に三脚・カメラをセッティング。
 
 それから15分程度の待ち時間の後で、ヤッと打ち上げ開始となりました。
 でも、GONsanのカメラでは少々遠すぎましたねぇ(^-^)
 弁天島からこの箕沖の岸壁までですと、直線距離でも5km余り。
 
 40-150mmのズームレンズ使用ですけど、やっぱり遠すぎました(^-^;
 5〜6枚撮りましてから暫し思案。
 このまま撮り続けようか…諦めて帰ろうか…と、悩むこと5分間。
 
 結局、諦めて退散する事となりました。
 広島県内で、毎年、夏の花火大会のトップとなります弁天島花火大会。
 この花火大会がヤッて来まして、毎年、夏に突入しましたことを実感しますGONsanなんですけど、箕沖ではさすがに遠すぎましたねぇ〜
 う〜ん、残念(^-^)//"

 

 

 

 

 

 ■2014年06月04日
 
帰宅しますと、また哀しい知らせが届いておりました…

 GONsanくらいの年齢になりますと、時たま大変哀しいご案内が届きます。今日がまた、そうでありました。
 帰宅しますと机の上に、医療法人社団CMC コールメディカルクリニック広島からの封書が…
 
 差出人は、理事長・藤岡様のお名前で…
 宛名は、GONsanと嫁さんの連名ですから封を切れば良いのに、嫁さんも忙しいのでしょうねぇ〜
 
 また、新しく病院を建設され、そのご案内なのかも…
 それにしては、理事長は岡林様なのに藤岡様のお名前で…何で?…
 
 …と、怪訝な顔で封を切りましたGONsanですけど、う〜ん、驚きましたネ。岡林理事長がご逝去とは…
 で、理事長退任・新任のご案内でありました。
 
 岡林理事長とは随分古い知人関係にありますGONsan。
 GONsanの嫁さんと、岡林理事長の奥様が同郷(福井県若狭町)で同世代で顔馴染みの関係で、GONsanが30代前半の時でしたか…もぅ30余年も昔の事となりましたが…
 当時、私は広島の東雲に、岡林さんご夫婦は西霞町に暮らしておられまして、比較的地理的に近い関係でご自宅に伺った事がありました。
 
 初めてお会いした際には、お互い若者ですから、岡林先生は在宅医療(訪問医療と言われましたかも…)について熱く語っておられました。
 GONsanは銀行員ですから、病院建設時には是非、当行でお手伝いを…こんな会話をさせて頂いたように記憶しております。
 
 あれから早や30余年の月日が流れまして、岡林先生は在宅医療の夢を実現され、医療法人社団CMC(http://call-medical-clinic.com/index.html)を設立し理事長に就任。
 在宅医療分野への基盤を確立され、マスコミにも脚光を浴びる存在に。昨年のいつでしたか…テレビで放映されていますのを嫁さんは観たようですけど。
 これも昨年の事ですけど、「岡林さんから『遊びに来て…』と電話があったから、広島に行ってくる」と嫁さん。
 
 その節には、嫁さんは岡林ご夫婦にお会いして「二人ともお元気で、楽しい再会だった」と言っておりましたのに…
 なのに突然のご逝去のご案内…
 文面には「病気療養中でございました理事長 兼 院長 岡林清司が逝去退任致しました…」の文言が…
 
 う〜ん、私達は知りませんでしたけど、病気療養中でしたとは…
 在宅医療分野を開拓、確立。青年医師時代の大きな夢を実現されマスコミにも取り上げられますまでに、ひたすら患者さんと共に歩んで来られましたのに…当のご本人が病に敗北されましたとは…
 何とも言えない想いに包まれてしまいます。
 奥様にとられましては、さぞ、ご無念の事と思います。
 
 でも、ご本人は、同じ志を持ち共に歩んで来らました仲間に後を託され、ご自身の人生に悔いなしと満足な想いで永遠の眠りにつかれたものと思います。
 あまりの突然のご案内で、ショックは隠せませんGONsan。
 今はただ、心から哀悼の意を表したいと思います。
 岡林さん、安らかに…

 

 ■2014年06月05日
 
西部の浅村選手…左膝じん帯損傷とはショックですネ(^-^;

 2日前の6/3に知りましたけど、西部ライオンズの浅村栄斗選手…左膝じん帯損傷とはショックですネ(^-^;
 WEB上でニュース検索しておりまして、たまたま眼に入りました下記の記事。
 いゃぁ、実にお気の毒であります。
 
 ◆【西武】浅村、左膝じん帯損傷!5月21日巨人戦で負傷…3日抹消も
 
 --- スポーツ報知 6月3日(火)7時2分配信 ---
 
 西武の浅村栄斗内野手(23)が左膝のじん帯を損傷していることが2日、分かった。5月下旬に患部を痛めてから強行出場を続けていたが、3日に出場選手登録を抹消される可能性が浮上した。
 
 昨季の打点王が離脱のピンチに陥った。引き金となったのは、5月21日の巨人戦(西武D)。2点リードした9回2死満塁の二塁の守りで、村田の飛球を背走していったんはグラブに収めたが、右翼・木村と交錯し、落球(記録は右前3点打)。逆転負けを喫した直後は、「体は大丈夫」と話していたが、数日たって左膝に痛みを覚えた。
 
 今季は全試合フルイニング出場を目指していたが、5月29日の阪神戦(甲子園)で途中交代。「左足が上がらない」とノーステップ打法に切り替え、痛みに耐えながらチームトップの8本塁打、32打点をマークしていた。
 
 この日は練習が行われた西武Dに現れず、休養に専念したが、回復は見られていないという。3日のDeNA戦(西武D)の前に最終判断するが、登録抹消となれば、12年6月30日の日本ハム戦(西武D)から275試合連続出場で途切れる。最下位からの巻き返しを図る西武に、逆風が吹いてきた。
 
 …と、こんな記事。
 
 以前にもGONsanのこの絵日記に綴りましたけど、西部ライオンズの若き4番打者「浅村栄斗」選手は、GONsanの職場の同僚Ssanの甥っ子なんです。
 ですから、大のカープファンのGONsanも球団は異なりましても浅村選手だけは応援していたのです。
 なのに、左膝のじん帯を損傷とは…実に残念でなりませんし、本当にショックですネ。
 
 この記事を眼にしまして、まだSsanとは顔を会わせておりませんけど、さぞ落胆の事と思います。実にお気の毒であります。
 今季の西武は、今現在で最下位に低迷。今から浮上していかなければならないこの時期に、主砲がチームより離脱とは…
 
 とは言いましても、まだまだ23歳と若い浅村選手ですから、早期回復で戦列復帰してくれるものと思います。
 浅村選手、ガンバレ!!
 GONsanは日本シリーズで広島×西部の対戦を夢見ているのですから(^-^)//"

 

 

 

 ■2014年06月06日
 
6/4(水)は某自動車ディーラーの新商品説明会で広島行きでありました(^.-)☆(1)

 先日・6/4(水)は某自動車ディーラーの新商品説明会で広島行きでありました(^.-)☆
 会場は、鶴羽根神社に隣接の「二葉(広島市東区二葉の里2-5-11)」。
 
 P.M.4:00からの開催で、少し時間的に余裕がありましたから、まずは鶴羽根神社に参拝です(^_^)v
 
 ◆鶴羽根神社
 
 ・鶴羽根神社由緒
 
 當社の儀建久年間(1190〜1191)「源三位頼政の室菖蒲の前」安芸国加茂郡西條の郷を領し、没後其の遺言により元久年間(1204〜1206)家臣池田左衛門社殿を建立し御祭神を勧請す。
 修理料として椎木山(二葉山)の寄附ありて椎木八幡宮と稱し、池田氏神主職となれり。
 元享年間(1321〜1324)回禄(火事)に罹り再建されしも兵亂により漸々衰廃に及び小社となり、萬冶二年の頃、同裔丹後守の時世に至り家名断絶し、二年の間奉仕の者なく、明星院の守護を蒙り終に鎮守となる。
 
 其の後、寛文元年同院は野上監物を以って當社の祠官に差置。此者氏子中勧進せしめ、社殿を造立し代々祠官たりしが、文政五年(1822)六代目同裔美濃守退転し、以て同七年、石井眞澄祠官となる。
 天保四年(1833)二月明星院鎮国堂より出火。悉く類焼し同年四月、假社殿落成御遷座ありしも同社域に藩主より饒津神社造営を仰せ出されし為、同六年四月、現在の地に所替にと相成り、旧藩主浅野家より造営の寄附をはじめ、氏子中の勧進により同十四年九月地鎮祭。
 安政三年(1856)五月上棟祭斎行再建全く成就す。因に元は饒津神社一の鳥居と二の鳥居の中間西側にありしなり。
 
 明治元年十二月、神仏混淆御引分。明星院鎮守の儀は差止められ、浅野長勲公の撰名により鶴羽根八幡宮と改め、同五年十一月鶴羽根神社と改稱し、広島東部総氏神として村社に列せらる。昭和二十年八月、原爆により社殿一切倒壊せしも消失を免れ、石の太鼓橋、境内の松、石鳥居、唐獅子、石燈籠は無事残れり。現在の御神殿、拝殿、社務所は戦後の困難の中、石井博光宮司の先導と氏子各位の熱烈なる協賛により其の規模は縮小されしも再建せられ現在至る。尚昭和の御代になり伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神を奉斎し、御神徳を敬慕し神前結婚式を広め、挙式等に関する総ての設備を完備せしは當社を以て濫觴となす。
 
 鎌倉時代、二葉山山麓に建立された椎の木八幡宮がその前身といわれて、江戸初期に明星院の鎮守社となった。天保6年(1835)に現在地に移り、社殿を再興した。
 明治元年(1868)に明星院より独立し、その後、鶴羽根八幡宮、ついで鶴羽根神社と名を改めた。その由来は、二葉山があたかも羽根を広げた鶴に似ていることで名付けたといわれている。
 嘗ては八幡宮であったようです。御祭神の伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神々は神前結婚挙式の為勧請されたと思われます。
 
 …と、WEB上にはこんな由緒書きがありました。
 それに、境内には「山縣豊太郎(やまがたとよたろう)銅像」が。
 これまた検索となりました(^.-)☆
 
 ・山縣豊太郎(やまがたとよたろう)銅像
 
 出生:1898(明治31)年、広島市京橋町山縣家の三男として誕生。
 入校:1915(大正4)年、伊藤飛行機研究所(千葉県)が開校され第1期生として入校、1917(大正6)年に首席卒業。
 活躍:1919(大正8)年5月5日東京遷都50周年祝賀行事の日、愛機鶴羽2号に搭乗、大観衆の見上げる上野上空に見事宙返りを敢行、日本航空史に輝く「民間人初の宙返り」を達成した、また特筆される快挙として、翌1920(大正9)年4月東京〜大阪間往復無着陸飛行大会に優勝、そのほか数々の飛行記録を樹立、「民間航空界の鳥人山縣時代」を到来させた。
 殉職:1920(大正9)年8月千葉県(鷺沼の畑)上空で連続(3回)宙返りを実行中、右上翼が空中分解、キリモミ墜落し、惜しまれる22歳の若き生命を空に殉じた。
 神葬祭:於東京青山斎場、大隈重信日本航空協会会長をはじめ国内航空関係者多数が参列し故人の業績を偲んだ。
 
 …と、こんな人物でありました(^-^)//"

 

 

 

 ■2014年06月06日
 
6/4(水)は某自動車ディーラーの新商品説明会で広島行きでありました(^.-)☆(2)

 新商品説明会:16:00〜17:00
 懇親会:17:30〜19:30
 
 懇親会には、特別ゲストとしてミュージカル俳優の「沢木順」sanが登場(^_^)v
 と言いましても、GONsanは沢木順sanを存知あげませんので、WEB上でまたお勉強です(^.-)☆
 
 ◆沢木 順(Jun Sawaki)
 
 北海道真狩村生まれ、鎌倉育ち
 
 早稲田大学で演劇を学び、卒業後東宝ミュージカル『ファンタスティックス』のオーディションに主役のマット役に抜擢され、それから沢木順のミュージカル人生が始まる。
 その後、『ラ・マンチャの男』他の出演を経て、1975年劇団四季に入団。
 
 以後、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ユダ役、『コーラスライン』ボビー役、『キャッツ』ラムタムタガー役、『オペラ座の怪人』ファントム役、『ユタと不思議な仲間たち』『エビータ』他。
 
 数多くのミュージカル舞台に立ち、退団後2004年には日本人で初めてのソロミュージカル『YAKUMO --小泉八雲外伝--』に挑戦し、見事大成功を収めている。
 最近では、ミュージカル『ハムレット』クロディアス役を好演し、ミュージカル以外にCD、コンサート等で活躍している。
 
 沢木順オフィシャルサイト
 http://sawaki.net/
 
 ・ミュージカル
 『ラ・マンチャの男』日本初演(帝国劇場) アンセルモ役
 『ジーザスクライストスーパースター』(日生他) イスカリオテのユダ役
 『エビータ』(日生) チェ・ゲバラ役
 『キャッツ』(キャッツシアター)ラム・タム・タガー
 『オペラ座の怪人』(日生) 怪人役
 『美女と野獣』(アクトシアター) 野獣役
 『キスミーケイト』(帝国劇場) ハウエル将軍役 2003年8月
 『奥様の冒険』(梅田コマ劇場) 鏑木役
 『タン・ビェットの唄』(世田谷パブリックシアター)・大阪(シアター・ドラマシティ)ハイン役
 『森は生きている』(アートスフィア)2004年〜2009年
 『私 女優よっ!』(アートスフィア)2004年9月
 沢木順ソロミュージカル『YAKUMO−小泉八雲外伝−』(青山円形劇場)2004年10月
 『ファンタスティックス』宮本亜門版ミュージカル(世田谷パブリックシアター)2005年2/27〜3/13
 ソロミュージカル『YAKUMO−小泉八雲外伝−』(鎌倉芸術館)2005年9月/2006年3月
 『家なき子』2006年
 『ハムレット』2007年
 『SEMPO』2008年
 『ファミリア』2008年
 ソロミュージカル『ロートレック』2009年11月16日
 
 ・ショー
 『大地真央グランドショー』(国際フォーラム) アッパー役
 ダイヤモンドホテル ディナーショー・全日空ホテル ディナーショー
 その他・多数
 
 ・TV
 「遠山の金さん」 ゲスト 瓦版売り役
 『細腕繁盛記』 ゲスト 証券会社社員役
 
 ・CM
 丸井
 『愛情はつらつシリーズ』1年半出演
 三菱電機 オーディオコマーシャル
 
 ・CD
 『ウルトラマンタロウ』(東芝EMI)
 『ウルトラ六兄弟』(東芝EMI)
 沢木順ファーストアルバム『CD・ザ・ミュージカル』(ネエバレーベル)
 セカンドアルバム『ラ・シャンソン』(ネエバレーベル)
 
 ・作曲作品
 『風に書いた言葉』古賀賞作曲コンクール優勝
 『落葉の別れ』田宮二郎・歌
 『ほんのはずみよ』ジョージ宇野・歌
 
 ・著 書
 『僕のミュージカル修業』
 
 こんな輝かしいご経歴の沢木 順san。
 ミニステージで5〜6曲唄われましたけど、さすがミュージカル俳優だけありまして、仲々の迫力。
 後で知りましたけど、お歳は69歳との事。とてもそんなお歳には見えませんでしたし、50代でも充分通用しますかも(^.-)☆
 それなりに、大変楽しい一時でありました(^-^)//"

 

 

 ■2014年06月10日
 
同僚が貴重な画像を(^.-)☆

 同僚が貴重な画像を届けてくれました(^_^)v
 
 「我家・神辺の敷地に産卵をする亀です。近所の池から毎年この時期に産卵をして、夏にはふ化した小亀が敷地内をはっています。池までは4m道路・畑があり距離約30m高低差5mもあるのですが、わざわざ我家敷地内で産卵するのです。」と、こんなメッセージ付きで(^.-)☆
 
 うん、うん、まさに亀の産卵の一コマです(^_^)v
 「今からふ化しますまで、毎日画像に納めたら…」とお願いしますと、「持ち家だけど最近まで賃貸にしていて、退去されたから今は空き家なので…」との事ですから、う〜ん、残念(^-^;
 
 同僚は別の場所に居住していまして、ここには時たましか訪れない…との事ですから、毎日画像に納めますのは無理な様子。
 残念ですねぇ〜
 
 それにしましても不思議ですネ。
 亀さんが日常暮らしています池からこの敷地までには、公道・畑等が存在し、亀さんにとりましては結構な距離もあるようです。
 にも拘わらず、危険を冒してまで毎年、この場所までヤッて来まして産卵しますとは…
 この場所は、人も、そして危険な生き物もいません安全な場所であります事を、充分理解していますのかも…
 
 どんな生き物にとりましても子育ては大変ですから、無事にふ化しまして、数匹の子亀の皆さんが、また無事に仲間が暮らしています池まで辿り着きますと宜しいですネ。
 久々に自然の営みのスバらしさを感じてしまいましたネ(^-^)//"

 

 ■2014年06月14日
 
GONsanの職場に銀幕のスター『國武 綾』sanが来訪で感激でした\(^o^)/

 本日の夕方近くでしたか…GONsanの職場に銀幕の若きホープ『國武 綾(くにたけ あや)』sanがご来訪で、ビックリのGONsanでありました(^_^)v
 とは言いましても、國武 綾sanのお名前もお顔も存知あげませんで、何をなさる人なのかも全く分かりませんGONsan。
 
 アイデアル鰍フ徳永社長との打ち合わせでしたのかも…
 その間を利用しまして、職場の若者の皆様から急いで情報収集のGONsan。短時間ではありましたが、國武 綾sanが銀幕の若きホープであります程度をとりあえず理解(^-^)
 
 ◆國武綾さん出演の2作品を特集上映 福山の映画館
 
 --- 朝日新聞デジタル 2014年5月21日03時00分 ---
 
 福山市出身の女優、國武(くにたけ)綾さん(27)が出演する映画2作品が、6月14〜20日に同市伏見町の福山駅前シネマモードで特集上映される。14日には舞台あいさつも予定している。國武さんに、映画の魅力や上映2作品について聞いた。
 
 國武さんは市立福山高校を卒業後、上京し劇団を中心に活動。昨年公開された話題作「恋の渦」(大根仁監督)で映画に初出演し、同作品で日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞を「俳優チーム」として受賞した。
 
 公開中の「闇金ウシジマくんPart2」(福山市神辺町の福山エーガル8シネマズなど)にも出演している。
 
 …と、WEB上にはこんな記事掲載がありました(^.-)☆
 
 そして、打ち合わせを終え、お帰りになられます際に、職場の若者の皆さんの誰一人、國武sanに言葉を掛けようとしませんので、たまらずGONsan、「写真を撮らせて頂いて宜しいでしょうか?」とお願いしますと、「わぁ、嬉しい!!是非お願いします(^_^)v」ですから、「いゃぁ、実に気さくな女優さんなんだ」と大感激のGONsanでありました\(^o^)/
 
 で、早速、撮らせて頂きましたのが挿入の画像なんです。
 仲々貴重な画像をゲットと言ったところなんですけど、こぅしてよくよく見て見ますと、むさ苦しいお顔に囲まれた國武san…少々お気の毒でしたかも(^.-)☆
 そもそも、GONsanと國武sanとのツーショットの依頼でしたのですけど、アッと言う間に職場の若者の皆さんに囲まれて、GONsanはカメラマンの役割に(^-^;
 まぁ、イィのですけどネ…
 
 とにかく、貴重な画像ゲットで大感激です。
 國武 綾san、まだまだ先が永いのですから、銀幕のホープでなく、銀幕の大スターにと駆け上って下さいねぇ(^-^)/
 本日、幸運にも國武 綾sanの気さくなお人柄に触れまして、GONsanもファンの一人になってしまいましたよ。
 
 國武 綾san、頑張って下さいねぇ〜!!
 数多い國武ファンの一員として、GONsanも応援しておりますよぉ(^-^)//"

 カメラマンが下手と言うより、カメラがボロでうまく撮れませんで申し訳ないです(^-^;
 三段目の画像は、Facebook上の友達であります徳永sanの「あ〜くんテレビ」からパクらせて頂きました(^-^)/

 

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