2014年 古元講中「親睦昼食会」

 

 ■2014年10月24日
 
10/12(日)は、古元講中の皆様との「お食事会」でありました(^.-)☆

 10/12(日)のA.M.11:30からは、前々から計画されておりました題目講の皆様とのお食事会でありました(^.-)☆
 GONsanが加入しています題目講は「古元講中」と言いますけど、何故、「古元講中」と言いますのかは知りません。
 両親が生存中に尋ねておかねば…と思っていたのですけど、二人とも1年を経ません予期しないうちに亡くなってしまいましたから、聞きそびれて現在に至ってしまいました(^-^;
 
 その内に、どなたかにお尋ねしなければならない…とは思っているのですけど、今更聞きづらい気持ちもありますし…
 
 ところで、「講中(こうじゅう)」「題目講(だいもくこう)」の意味なんですけど、WEB上で検索しますと、三省堂大辞林のこんな記載がありますネ(^.-)☆
 
 ◆講中(読み方:コウジュウ)
 
 広く信仰上の志を同じくするものの結合集団の構成員。
 
 ◆講
 
 元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。
 
 この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。
 
 「講」の組織が強化されるのが、戦国時代のことである。講元は国人や地侍等があたり、また講元自身が地侍化した。浄土真宗の「講」の組織によって加賀一向一揆などが行われた。「講」という組織上、半民主的な政治が行われた。
 
 講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
 
 外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであった。立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって各地の神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。
 
 相互扶助団体(頼母子講・無尽講)への転用は、この代参講から派生したものである。すなわち、皆で金を出しあって、参拝に行くのではなくその金をくじや入札によって構成員に融通するというものである。
 
 ・主要な講(仏教行事としての講)
 
 維摩講・最勝講・観音講・薬師講・法華八講・大師講・報恩講・舎利講
 
 ◆題目講
 
 題目講(だいもくこう)とは、法華宗系の信徒によって構成された講。
 同宗の祖である日蓮が没した日(弘安5年10月13日)にちなんで毎月13日あるいはその前夜に開かれたことから十三日講とも称する。
 法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えることで、日蓮の唱えた教義と信徒間のつながりを確認する意図があるとされる。
 
 ・沿革
 
 鎌倉時代末期から知られており、当初は血縁関係に基づく参加が重んじられて一家一族連帯の儀式としても尊重された。だが、中世後期には地縁の紐帯を強める儀式に変質するとともに周辺地域の題目講との連携や所属する寺院が属する本寺及び門流の行事・事業を支援するなど、宗派全体の信仰・経済両面から支える組織となっていった。
 
 …と、こんな記載が。
 
 我が家は日蓮宗ですから、毎月(最近は2ヶ月毎に実施していますけど)13日のP.M.7:00から題目講を実施しています。
 GONsanは母が亡くなりました頃から両親に替わって参加していますけど、メンバーの皆様がお若い頃には日蓮宗のお寺詣りを始めアチコチ出かけておられましたようです。
 が、ここ近年は皆さんお歳を重ねてこられ、そんな機会も無くなりましたご様子。
 
 で、たまにはメンバー全員で食事でもして親睦を図ろうとの想いで、今回の食事会となりました(^.-)☆
 当日はご都合が悪く参加出来ませんでした方も数名おられますけど、題目講の集まりとはまた趣も異なりまして、食事しながらの談笑もイィものではありますネ(^.-)☆
 
 …と言う事で、この日の様子を何枚かの画像でご案内致したいと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆様との談笑が2時間ばかり続きましたところでお開きとなりました(^.-)☆
 今回の食事会の場所は、我が町内では名の通りました「宝楽」sanでありました。
 歩いて出かけられますから、皆さんよく利用されますのでしょうネ(^_^)v
 
 WEB上で「宝楽」sanを検索してみますと、こんな口コミがありました(^_^)v
 
 ◆福山水呑竜宮城!
 
 福山市外から南下。
 鞆の浦へ向かう途中の、水呑地区。みずのみ。。。
 
 由来には諸説あり、神武天皇と神功皇后がこの地に立ちよって水を呑んだから、飲み水となる水が豊富にあったから、など。
 はっきりとはしないそうですが、確かに一級河川の芦田川が流れており、用水が豊富であったことは間違いなさそうです。
 道すがら、突然竜宮城のようなお店が出てきましたよ。
 お腹がすいていたので、とりあえず入店。
 
 宝楽定食940円、満腹セット(B)790円を注文。
 宝楽定食は、酢豚、唐揚げ、焼豚、生野菜、スープ、ライスがセット。
 満腹セットは、カツ丼、ラーメン、キムチサラダ。なぜかカツラーメンなどカツを使った料理が多い。
 
 どっちもボリューム満点でいいですね!あと木曜は餃子のサービスデーらしい。
 ドリンクも安いです。
 オレンジジュース160円。なんとハイシー!
 
 懐かしや。全部Qooに置き換わったと思っていましたが、飲食店の瓶には残っているようです。
 おいしかった。ごちそうさま。
 
 …と、こんな口コミが(^.-)☆
 
 うん、うん、竜宮城ねぇ…確かに外観はそんな感じがしない事も(^.-)☆
 こら、こら、我が町を『みずのみ』とは(^-^;
 何処からおいでになられましたのか…多分、福山にお住まいの方ではありませんようですから、許します(^-^)
 次回の機会には『みのみ』と発音して頂けましたら…
 
 宝楽の前で散会となりましたけど、GONsanは4名の方と途中まで会話しながらの歩行です。
 そして、最後は独りでテクテクと我が家方向に。
 
 そうしておりますと、ニャンコに遭遇(^_^)
 何気なくカメラを向けますと、サッと反転しブロック瓶に隠れてしまいました。
 どうせ、スグにまた出て来るだろぅ…と根比べ(^-^)
 
 案の定、10秒ばかり経まして出て来ましたところをパチリ(^.-)☆
 GONsanの勝ちでした(^_^)v
 
 さて、次回のお食事会はいつになりますのでしょうねぇ〜
 それまで皆さん、お元気にお過ごしになられますと宜しいですねぇ(^-^)//"

 

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