2013/05/24〜05/26
2013 中村講中の皆様と東北方面のお寺巡り <2/12>

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■釈迦堂(五重塔の右側の建物が「釈迦堂」です)
 
 当初は、みやぎNPOプラザ敷地内に、仙台藩四代目藩主伊達綱村が生母三沢初子が没して10年目に建てたという「釈迦堂碑」がありましたようですけど、いつの日か宮城野区榴岡4丁目の孝勝寺に移されましたとか…
 
 釈迦堂は、仙台藩四代藩主の伊達綱村公が生母三沢初子の冥福を祈るため、釈迦仏を祀って1695(元禄8)年に建てられた持仏堂です。
 もとは榴ヶ岡にありましたが、1973(昭和48)年宮城県図書館(当時)が建設されるにあたり、孝勝寺に移転されましたとの事。
 
 ■三沢初子
 
 三沢 初子(みざわ はつこ)、寛永17年(1640年) - 貞享3年2月4日(1686年2月26日)は、仙台藩第3代藩主伊達綱宗の側室。三沢氏とも称す。
 
 ◆家系
 
 初子は、信濃源氏の後裔で、信濃国飯島郷地頭の一族である三沢氏の出身であった。三沢氏は出雲国の国人領主となり、尼子氏と対抗と同盟を繰り返しながら国人領主として成長した。尼子氏の後に毛利元就に従い、その孫毛利輝元にも仕えて、元和偃武を迎えた。その頃の当主は三沢為虎で、初子の曽祖父にあたる。祖父の為基は毛利氏を出奔して伊達氏に仕えた。
 
 ◆生涯
 
 寛永17年(1640年)、三沢清長の娘として生まれる。初子は13歳のとき父母と死別し、叔母の紀伊という者に養われていたという。
 初子は、叔母の紀伊が振姫の老女となるに及んでその縁で初め振姫の侍女となった。容姿端麗、天性聡明であったので、忠宗は振姫と相談し、彼女を世嗣の伊達綱宗の側室とした。伊達綱宗はその死まで正室を迎えず、初子は事実上の正室であった。
 
 万治元年(1658年)、伊達綱宗は父の忠宗の死去に伴い第3代仙台藩藩主になった。翌年の万治2年(1659年)3月8日、初子は仙台藩伊達家の江戸屋敷にて第1子の亀千代(伊達綱村)を産む。
 だが、万治3年(1660年)伊達綱宗は隠居することになる。その世嗣の亀千代はまだ2歳であったが、第4代仙台藩藩主となった。このことが寛文事件の原因ともなったとされる。我が子の無事を案ずる初子は、釈迦像を刻んだ伽藍の香木を、まげの中に納め、亀千代の除災招福を祈願したという。
 
 寛文5年(1665年)には伊達村和、寛文6年(1666年)には伊達宗贇と、男子3人を産んだ。
 寛文事件が収束したとき、初子はまげの中の仏を綱村に与え、「これはあなたの守り本尊だから、城外に安置しなさい。」と遺言したという。
 初子の弟の三沢宗直は、姉の縁で仙台藩に召抱えられ、延宝3年(1675年)には仙台藩藩主伊達綱村の命により、仙台藩家格一門に昇格した。
 
 貞享3年(1686年)2月4日歿す。享年47。浄眼院殿了岳日巌大姉と法謚し、仙台城東の榴ヶ岡にある孝勝寺に葬られる。
 のち、綱村はその母の遺志を守り、榴ヶ岡に釈迦堂を建立し、母の遺徳を牛馬にまで分け与えようと、この岡一帯にしだれ桜1万本を植えたという。
 御廟所境内には、「ひとふしに 千代(ちよ)をこめたる 杖ならば つくともつきじ 君の齢(よわい)は」という初子作の歌が碑に刻まれている。

 

 

 

 孝勝寺への参詣を終えますと、会津若松へ(^-^)
 その途中、何と言います山か分かりませんけど、頂きには残雪が…
 
 この日は少々暑さも感じます気温でありましたから、残雪の景観がヤケに清涼感を抱かせてしまいました(^.-)☆
 そして、会津若松にと入って来ますと、大きな観音菩薩が姿を現しました。
 
 まずは、飯盛山にあがりましてから昼食です(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■飯盛山(いいもりやま)
 
 飯盛山(いいもりやま)は福島県会津若松市の中心部から少し東側にある標高314mの山。またその周辺。白虎隊自刃の地としても知られている。
 
 位置:会津若松市一箕町(いっきまち)に位置し、JR会津若松駅からはほぼ真東にあたる。会津盆地の東端でもあり、近隣には白虎隊記念館や団地などがある。
 
 ◆概要
 
 「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられたという。
 江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。
 
 「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。
 山のふもとには土産屋が並ぶ。この土産屋一帯は、昔から存在し、無料の看板で駐車場へ誘うものの一定の土産物屋で買い物を迫る「買うように迫る商法」とよく言われ、強烈な誘いで有名だ。山へ登るのには2つのコースがあり、徒歩で登るコースと、エスカレータで登るコースがある。(後者有料)
 
 中腹には、日本では大変珍しい木造建築物栄螺堂(さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)がある。上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定されており、これ目当てで観光に来る客も多い。
 
 頂上からは会津若松市内が一望できる。テレビ朝日系ドラマ「白虎隊」のロケ地でもある。

 

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