2011年5月〜2012年2月間の話題を集めてみました(^.-)☆ <14/18>

 

 

 ■2011年12月18日
 
本日の夕方は、同僚の入院お見舞いで三原赤十字病院行きでありました(^.-)☆

 
先月の下旬でしたか…同僚が神戸への出張のため山陽自動車道を走行中、鴨方IC手前で後続の車に追突され左側面のガードレールのコンクリートに激突。
 その反動で車は走行車線と追い越し車線の中間辺りに停止。
 追突して来ました後続車はそのまま逃走。
 ですが、さすが警察です。岡山IC近くの吉備SAエリア内で逃走車を発見し、即時に逮捕。
 
 同僚の方は車は大破、そして身体も4ヶ所骨折の状態。
 救急車で倉敷市の川崎医大に運ばれ精密検査。その後、ご自宅近くの三原赤十字病院にと移送となりました。
 
 あれから早や3週間近く経過しまして、GONsanは2回目のお見舞いとして三原行きとなりました次第。
 
 夕方の5時前に我が家を出まして国道2号線(松永バイバス)を三原方面に走行です。
 時間帯から土曜日とは言いましても結構車の走行量は多いですから、それなりに時間を費やします。
 対向車線も同様でしたが、神村トンネルを抜けました辺りから対向車線には全く車がヤッては来ませんでしたから、んっ?!のGONsan。
 
 何で?…といぶかりながら走行していますと、ヤッと納得。
 たった今、対向車線では三重衝突が発生です。
 2.5t車に軽四が追突、そしてこの後続車が軽四に激突…とこんな事故が発生しまして、福山方面の下り線は大渋滞(^-^;
 
 こんな状態を横目に走行しながら、GONsanの頭は既に帰路の渋滞を危惧しておりました。
 帰路では、少しでも渋滞の気配が感じられましたら、スグにバイパスから降り旧国道2号線を走行しよう…と考えながらの三原行きとなりました。
 三原赤十字病院に到着は、P.M.6:40。
 
 骨折ですから手術もなくコルセットを身に付け、ひたすら療養あるのみの同僚。
 入院間もない頃に来ました際には、痛みもありましてとても歩ける状態ではありませんでしたけど、今回は歩行器に寄り添い歩行は可能まで回復です。
 歩行器も不要のように感じましたけど、危険回避で安全のため一応歩行器を使用なのでしょうネ(^-^)
 
 まぁとにかく、よく喋ります同僚。
 相変わらず口は達者ですから苦笑してしまいますよ(^.-)☆
 正月も目前ですから年末には退院し自宅療養を本人は希望しておられますけど、さて、病院の許可はどうなんでしょうねぇ〜
 それに、入院直後にお孫さん誕生で、未だに対面もしておられませんから、なおさら退院への希望は強いのでしょうけど…
 
 40分程度会話しましてGONsanは退散となりました。
 病院の駐車場を出ます際にX\\\\\\\\'masのイルミネーションが眼に入りましたから、即、パチリ(^_^)v
 今冬初めてのイルミネーション撮りとなりました(^_^)v
 
 帰路は危惧しました通り松永バイパスは渋滞状況。
 ですが、意外にもスンナリと今津PAまで走行は出来、流れはスムーズ。でもここから先が大渋滞のようでしたから、県道48号線にと降りまして旧国道2号線を走行し福山方面に。
 同様のルートを走ります車も多かったのですけど、流れは実に良かったですから、結構楽に我が家にと到着です。
 
 今回の松永パイパスの三重衝突も同僚の後方からの追突事故も、いずれも後方からの追突ですから避けるのも難しいですし…実に困ったものであります。
 とにかく、車で走行中には前後左右を常に警戒しまして、少しでも発生回避が出来ますよう留意するしかありませんねぇ〜

 本当に困ったものであります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2012年01月02日
 
倉敷市「不洗 観音寺」

 
昨日・大晦日は、息子の嫁さんの代わりに倉敷市の「不洗(あらわず) 観音寺」にお礼参りとなりました(^.-)☆
 その前日の30日に出かけようと思っていたのですけど、さすがに12/30は何だかんだと忙しくて大晦日の午後に嫁さんと出かける事となりました。
 
 山陽自動車道を走行しますと距離は50km少々ですから、所要時間は丁度1時間程度。
 その通りピッタシ1時間で到着でした。
 大晦日と言いますのに、山陽自動車道は上下線ともスムーズな流れ(^.-)☆チョッと意外ではありましたが…
 
 時間はと見ますと、P.M.3:00。元旦は多いのでしょうけど参拝客はGONsan夫婦を含みまして5組程度でありました。
 
 この“不洗(あらわず) 観音寺”、昔からこの地に存在しますのでしょうけど、仲々立派でありました(^_^)v
 でも、建物自体は随分新しくキレイでありましたが…
 不洗観音寺をWEB上で検索してみますと、こんな記載がありました。
 
 ■不洗(あらわず) 観音寺
 
 当山のご本尊「十一面観世音菩薩」は、千二百年にわたりこの地で新しい生命の誕生を見守り、命を生み、育てる女性たちの心の支えとなってきました。
 
 当山が開かれたのは、第四十五代聖武天皇の時代、天平年間。観音様の化身である稽文会(けいもんえ)、稽主勲(けいしゅくん)の二権化が天界の霊木を使用して彫刻した観音像を、行基菩薩、菩提僧正の二人の聖者が開眼供養し、当山に安置したのが最初だということです。
 
 求子安産の寺としての由来は同じく天平年間の賢徳の僧、当山の開祖増慶上人の夢に現れた聖僧のお告げによります。この時、本尊として観音様を安置。それに呼応するように山麓から湧き出た霊水が、いまも境内に沸いている閼伽水(あかすい)なのです。当山の本尊を信じ生まれたこどもは三日三晩たった後、この霊水で洗うと無病息災、かつ安楽に成長すると言われています。
 
 また不思議なことに、当山で安産を祈願して生まれた赤ちゃんは、三日三晩のあいだ産湯をつかわせなくても、体が血で汚れることも不浄になることもなく、きれいな子に育つと言われ、このことから当山の観音様はいつの間にか「不洗(あらわず)観音」と呼ばれるようになりました。
 
 また私たちの遠い過去からの罪や過ちを救ってくださり、現世の一切の苦しみや不幸から救い上げてくださるのが観音様。人々の苦しみを除き、楽を与えてくれる慈悲の権化です。観音様に触れることで、私たちはその慈しみの心に感謝し、いつしか慈悲の心を自分の中にも育てることができるようになります。
 
 当山に参られたことを機縁に、皆様が心安らかな、幸せな日々を送られることをお祈り申し上げます。
 
 …との、こんな記載が(^.-)☆
 ふん、ふん、不洗(あらわず) 観音寺なんですねぇ〜
 
 お礼参りを終え線香・ロウソクを求め大師堂の前でお供えしておりますと、4〜5歳くらいの女の子連れのご夫婦が手を合わせておられました。
 そして、その女の子が「どうか、イィ子が産まれますように…」と何度もお祈りしていますのが実に印象的で、微笑ましくもありました。
 ご両親の想いが、その女の子にも充分伝わっていますのでしょうねぇ〜
 
 その女の子に取りまして、妹か弟か分かりませんけど、祈願通りいぃ子が誕生しますと宜しいですネ。
 この日の参拝客は多くありませんでしたけど、今日の元旦には数多くの方々が初詣されましたのでしょうねぇ〜
 実にキレイな『不洗(あらわず) 観音寺』でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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