2007年 ふれあい文化祭 史跡巡り <3/4>
 ■鞆鉄道鉄橋橋脚跡

 水呑には鉄道が走っていた。福山駅と鞆を結ぶ鞆鉄道で、1913年に開通し、1954年に廃止された。
 葛城駅(現在の葛城下りバス停)を出た線路は、ここで水呑川を渡り、三新田の中をまっすぐに水呑駅(現在の水呑バス停)に向かっていた。

 この橋脚の造作を見ると、鉄道の車輌が重いことがよく分かると思う。

 

 

   

  

   

(左)中村集会場脇の豊年橋

 ■安政橋と豊年橋

 水呑川に掛けられた最初の橋である。それまでは入江を渡る道がなく、三新田に行くには山之神の内海屋商店の場所まで遠回りしていた。

 安政橋は1854年(安政元年)完成。元号が新しく安政となった年だったので名付けられた。
 豊年橋は1856年(安政3年)完成。この年は豊作だったのでこの名になった。水呑の最大の産業が農業だったことが分かる。

   

   

 

   

   

 ■法界碑

 水呑公民館の北側、旧県道の西側に水呑で一番大きい法界碑がある。通称、大法界と言う。
 法界とは宇宙万物の総称であって仏法の広大なことを言う。また広大な宇宙本体と言われている。法界さんと言って親しみをもって呼ぶが、正しくは法界碑という。

 1833年(天保4年)癸巳年三月吉良辰造立とある。

 

   

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